ソロモン神殿(英語:Solomon's Temple)とは、ヘブライ語聖書によるとネブカドネザル2世によるエルサレム攻囲戦 (紀元前587年) で破壊されるまでエルサレムにあった聖なる神殿(ヘブライ語: בֵּית־הַמִּקְדָּשׁ: Beit HaMikdash)である。その後建てられる神殿と区別し、第一神殿(First Temple) とも呼ばれる。
第一神殿の史実性については、考古学的根拠が全くないため不明だが、エルサレム攻囲戦までに神殿が存在していたことは学者間で共通認識とされている。神殿の規模や建設年については議論中であり、宗教・政治的にセンシティブな場所であるため最近は調査も行われていない[1][2]。
紀元前6世紀になるとエルサレムはアケメネス朝ペルシャの支配下になり、キュロス2世の政策下で、ソロモン神殿のあった神殿の丘に第二神殿が再建された。
ヘブライ語聖書によると、紀元前10世紀中頃のイスラエル・ユダ連合王国王ソロモンのもと建設され、ユダ王国の時代にはヤハウェ神を奉じ、契約の箱が納められたとされる。ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは「寺院は建てられてから四百十年六月十日後に焼かれた」と述べている[3]。
聖書における記述
歴代志上22章によると、元々はダビデ王が「主なる神の家」の建設を志し、準備をしていたものの、神の許しを得なかったので、息子のソロモン王が建設を引き継ぐことになった。
それでダビデは言った、「主なる神の家はこれである、イスラエルのための燔祭の祭壇はこれである」と。
ダビデは命じてイスラエルの地にいる他国人を集めさせ、また神の家を建てるのに用いる石を切るために石工を定めた。
ダビデはまた門のとびらのくぎ、およびかすがいに用いる鉄をおびただしく備えた。また青銅を量ることもできないほどおびただしく備えた。
また香柏を数えきれぬほど備えた。これはシドンびととツロの人々がおびただしく香柏をダビデの所に持って来たからである。
ダビデは言った、「わが子ソロモンは若く、かつ経験がない。また主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。それゆえ、わたしはその準備をしておこう」と。こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。
そして彼はその子ソロモンを召して、イスラエルの神、主のために家を建てることを命じた。
すなわちダビデはソロモンに言った、「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。
ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。
見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。
彼はわが名のために家を建てるであろう。彼はわが子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王位をながくイスラエルの上に堅くするであろう』。
それでわが子よ、どうか主があなたと共にいまし、あなたを栄えさせて、主があなたについて言われたように、あなたの神、主の家を建てさせてくださるように。
(略)
見よ、わたしは苦難のうちにあって主の家のために金十万タラント、銀百万タラントを備え、また青銅と鉄を量ることもできないほどおびただしく備えた。また材木と石をも備えた。あなたはまたこれに加えなければならない。
あなたにはまた多数の職人、すなわち石や木を切り刻む者、工作に巧みな各種の者がある。
金、銀、青銅、鉄もおびただしくある。たって行いなさい。どうか主があなたと共におられるように」。
ダビデはまたイスラエルのすべてのつかさたちにその子ソロモンを助けるように命じて言った、
「あなたがたの神、主はあなたがたとともにおられるではないか。四方に泰平を賜わったではないか。主はこの地の民をわたしの手にわたされたので、この地は主の前とその民の前に服している。
それであなたがたは心をつくし、精神をつくしてあなたがたの神、主を求めなさい。たって主なる神の聖所を建て、主の名のために建てるその家に、主の契約の箱と神の聖なるもろもろの器を携え入れなさい」。
— 歴代志上22:1-19
ソロモン王による建設については、歴代志下の2~4章に記述されている。
さてソロモンは主の名のために一つの宮を建て、また自分のために一つの王宮を建てようと思った。
そしてソロモンは荷を負う者七万人、山で石を切り出す者八万人、これらを監督する者三千六百人を数え出した。
ソロモンはまずツロのヒラムに人をつかわして言わせた、「あなたはわたしの父ダビデに、その住むべき家を建てるために香柏を送られました。どうぞ彼にされたように、わたしにもして下さい。
見よ、わたしはわが神、主の名のために一つの家を建て、これを聖別して彼にささげ、彼の前にこうばしい香をたき、常供のパンを供え、また燔祭を安息日、新月、およびわれらの神、主の定めの祭に朝夕ささげ、これをイスラエルのながく守るべき定めにしようとしています。
またわたしの建てる家は大きな家です。われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです。
しかし、天も、諸天の天も彼を入れることができないのに、だれが彼のために家を建てることができましょうか。わたしは何者ですか、彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならないのです。
それで、どうぞ金、銀、青銅、鉄の細工および紫糸、緋糸、青糸の織物にくわしく、また彫刻の術に巧みな工人ひとりをわたしに送って、父ダビデが備えておいたユダとエルサレムのわたしの工人たちと一緒に働かせてください。
またどうぞレバノンから香柏、いとすぎ、びゃくだんを送ってください。わたしはあなたのしもべたちがレバノンで木を切ることをよくわきまえているのを知っています。わたしのしもべたちも、あなたのしもべたちと一緒に働かせ、
わたしのためにたくさんの材木を備えさせてください。わたしの建てる家は非常に広大なものですから。
わたしは木を切るあなたのしもべたちに砕いた小麦二万コル、大麦二万コル、ぶどう酒二万バテ、油二万バテを与えます」。
そこでツロの王ヒラムは手紙をソロモンに送って答えた、「主はその民を愛するゆえに、あなたを彼らの王とされました」。
ヒラムはまた言った、「天地を造られたイスラエルの神、主はほむべきかな。彼はダビデ王に賢い子を与え、これに分別と知恵を授けて、主のために宮を建て、また自分のために、王宮を建てることをさせられた。
いまわたしは達人ヒラムという知恵のある工人をつかわします。
彼はダンの子孫である女を母とし、ツロの人を父とし、金銀、青銅、鉄、石、木の細工および紫糸、青糸、亜麻糸、緋糸の織物にくわしく、またよくもろもろの彫刻をし、意匠を凝らしてもろもろの工作をします。彼を用いてあなたの工人およびあなたの父、わが主ダビデの工人と一緒に働かせなさい。
それでいまわが主の言われた小麦、大麦、油およびぶどう酒をそのしもべどもに送ってください。
あなたの求められる材木はレバノンから切りだし、いかだに組んで、海からヨッパに送ります。あなたはそれをエルサレムに運び上げなさい」。
そこでソロモンはその父ダビデが数えたようにイスラエルの国にいるすべての他国人を数えたが、合わせて十五万三千六百人あった。
彼はその七万人を荷を負う者とし、八万人を山で木や石を切る者とし、三千六百人を民を働かせる監督者とした。
ソロモンはエルサレムのモリアの山に主の宮を建てることを始めた。そこは父ダビデに主が現れられた所、すなわちエブスびとオルナンの打ち場にダビデが備えた所である。
ソロモンが宮を建て始めたのは、その治世の四年の二月であった。
ソロモンの建てた神の宮の基の寸法は次のとおりである。すなわち昔の尺度によれば長さ六十キュビト、幅二十キュビト、
宮の前の廊は宮の幅に従って長さ二十キュビト高さ百二十キュビトで、その内部は純金でおおった。
またその拝殿はいとすぎの板で張り、精金をもってこれをおおい、その上にしゅろと鎖の形を施した。
また宝石をはめ込んで宮を飾った。その金はパルワイムの金であった。
彼はまた金をもってその宮、すなわち、梁、敷居、壁および戸をおおい、壁の上にケルビムを彫りつけた。
彼はまた至聖所を造った。その長さは宮の長さにしたがって二十キュビト、幅も二十キュビトである。彼は精金六百タラントをもってこれをおおった。
その釘の金の重さは五十シケルであった。彼はまた階上の室も金でおおった。
彼は至聖所に木を刻んだケルビムの像を二つ造り、これを金でおおった。
ケルビムの翼の長さは合わせて二十キュビトあった。すなわち一つのケルブの一つの翼は五キュビトで、宮の壁に届き、ほかの翼も五キュビトで、他のケルブの翼に届き、
他のケルブの一つの翼も五キュビトで、宮の壁に届き、ほかの翼も五キュビトで、先のケルブの翼に接していた。
これらのケルビムの翼は広げると二十キュビトあった。かれらは共に足で立ち、その顔は拝殿に向かっていた。
ソロモンはまた青糸、紫糸、緋糸および亜麻糸で垂幕を造り、その上にケルビムの縫い取りを施した。
彼は宮の前に柱を二本造った。その高さは三十五キュビト、おのおのの柱の頂に五キュビトの柱頭を造った。
彼は首飾のような鎖を造って、柱の頂につけ、ざくろ百を造ってその鎖の上につけた。
彼はこの柱を神殿の前に、一本を南の方に、一本を北の方に立て、南の方のをヤキンと名づけ、北の方のをボアズと名づけた。
ソロモンはまた青銅の祭壇を造った。その長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ十キュビトである。
彼はまた海を鋳て造った。縁から縁まで十キュビトであって、周囲は円形をなし、高さ五キュビトで、その周囲は綱をもって測ると三十キュビトあった。
海の下には三十キュビトの周囲をめぐるひさごの形があって、海の周囲を囲んでいた。そのひさごは二並びで、海を鋳る時に鋳たものである。
その海は十二の牛の上に置かれ、その三つは北に向かい、三つは西に向かい、三つは南に向かい、三つは東に向かっていた。海はその上に置かれ、牛のうしろはみな内に向かっていた。
海の厚さは手の幅で、その縁は杯の縁のように、ゆりの花に似せて造られた。海には水を三千バテ入れることができた。
彼はまた物を洗うために洗盤十個を造って、五個を南側に、五個を北側に置いた。その中で燔祭に用いるものを洗った。しかし海は祭司がその中で身を洗うためであった。
彼はまた金の燭台十個をその定めに従って造り、拝殿の中の南側に五個、北側に五個を置き、
また机十個を造り、神殿の中の南側に五個、北側に五個を置き、また金の鉢百を造った。
彼はまた祭司の庭と大庭および庭の戸を造り、その戸を青銅でおおった。
彼は海を宮の東南のすみにすえた。
ヒラムはまたつぼと十能と鉢とを造った。こうしてヒラムはソロモン王のため、神の宮の工事を終えた。
すなわち二本の柱と玉と、柱の頂にある二つの柱頭と、柱の頂にある柱頭の二つの玉をおおう二つの網細工と、
その二つの網細工のためのざくろ四百、このざくろはおのおの網細工に二並びにつけて、柱の頂にある柱頭の二つの玉を巻いていた。
(略)
こうしてソロモンは主の宮のためにしたすべての工事を終った。そしてソロモンは父ダビデがささげた物、すなわち金銀およびもろもろの器物を携えて行って神の宮の宝蔵に納めた。
— 歴代志下2-5
建築について
聖書では、ソロモンがイスラエルを支配してから4年目に建設を始め7年後に完成したとされる[4]。ソロモン王と友好関係にあったティルス王ヒラムからは、レバノン杉などの提供があった。
考古・聖書学者のイスラエル・フィンケルシュタインによると、フェニキアの建物に酷似していることから、フェニキア人が設計に関与しているとしている[5]。
- 至聖所(Kodesh haKodashim)
- Hekhal
- 鋳物の海 - 司祭が沐浴し身を清めるのに使った銅製の水盤
- en:Aish tamid - ソロモン神殿の祭壇で燃えていた永遠の炎。ネール・ターミードとは異なる。
出典
外部リンク
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