笠の緒文
1600年、会津征伐に参戦していた山内一豊に妻の見性院が書いた手紙 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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笠の緒文(かさのおぶみ)は、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い前の会津征伐に参戦していた山内一豊に、妻の見性院が大坂城から届いた文箱と、自分で書いた手紙2通を使いに持たせ、自筆の手紙のうち1通をこより状にして使者の笠の紐にねじ込んで届けさせたものである。見性院の機転を物語る逸話で、この時の手紙、ひいては文箱の文を未開封のまま徳川家康に届けたことで、家康の一豊への覚えがめでたくなり、その後の小山評定と合わせて、後の土佐20万石への加増につながったともいわれる。笠の緒の文、笠の緒の密書とも。
見性院の本名は千代、まつの2つの説があるが、ここでは見性院で表記する。