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日本のジャーナリスト、評論家 ウィキペディアから
竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7日[1] - 2019年〈令和元年〉7月8日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家[2]。1989年第5回『正論』大賞受賞[3][1]。
大阪府大阪市東成区(現:生野区)生まれ。旧制大阪府立生野中学校の1年生の時に、父の実家のある兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)に引っ越す。旧制兵庫県立生野中学校に転校。卒業後、旧制姫路高等学校文科甲類(現:神戸大学文学部)に入学するが、学制改革により翌年新制京都大学に編入。アメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学(旧:パリ大学)で学ぶ[1]。シラキュース大学大学院新聞科修了[1]。
1955年から英文毎日の記者を経て、1963年に新日鐵グループの山陽特殊製鋼へ入社し調査部長となる[1]。しかし、1年後に山陽特殊製鋼を退社し[4]、以後は追手門学院大学英文科助教授[1]、拓殖大学客員教授などを経て、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目されて文筆活動を始める。並行してテレビ・ラジオにも出演[要出典]。
1980年(昭和55年)頃、講演やテレビ番組などで「仕事ができない奴=資料を持ち過ぎの奴」との持論を展開し、自身は1冊の手帳に情報を集約して使っていることを紹介した[要出典]。自らの監修によりオリジナルの手帳「これだけ手帳」を発刊し、その後30年にわたって発行され続けたが、2012年度版をもって発行を終了した。
1982年(昭和57年)9月、同年夏に出した『もっと売れる商品を創りなさい』が月刊誌『アクロス』同年2月号の記事から盗用していることが発覚。記者会見で盗用の事実を認めて謝罪し、回収することになった。全文コピーが7ヶ所で87行、文意盗用が10ヶ所で67行というもの[5][6][7][8]。
1985年(昭和60年)より、ニューヨークマンハッタンのモット・ストリートとプリンス・ストリートの交差点付近にあるビルの壁面に、竹村の肖像壁画が描かれている[9][10]。アデランスのCM撮影用に描かれたものである。
先述の「これだけ手帳」発売終了以後、メディア出演や著書発表などの活動を行うことはなかった。
ベストセラーとなった著書『マクルーハンの世界』で竹村はテレビはラジオと異なり大衆を扇動しない「クールなメディア」だと説明したが、この点がマーシャル・マクルーハンの思想と全く異なるとして竹村は佐藤毅に批判された[14]。竹村は同書はマクルーハンの紹介ではなく「一種の創作みたいなもの」だったと弁明した[14]。
2000年までに300冊以上の著書がある[1]。
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