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立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。
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六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。
1971年1月に七代目立川談志に入門。前座名は「立川孔志」。
1976年7月に二ツ目に昇進し「朝寝坊のらく」を名乗る。1981年、第10回NHK新人落語コンクール 最優秀賞を受賞。
1982年12月に四代目吉原朝馬、春風亭一朝らと共に真打昇進、六代目立川ぜん馬を襲名。1983年、師匠と共に落語協会を脱退。落語立川流のAコース真打となり現在に至る。
師匠立川談志の芸の継承者と言われるほど落語の実力は折り紙つきで、古典落語を演じさせたら右に出るものはなしと言われるほどである。演じる芸は滑稽噺から人情・怪談・芝居噺と多岐に渡り、数少ない「お客に江戸落語全般を堪能させられる」噺家といえる。
同期入門の噺家として六代目三遊亭円楽[1]、春風亭小朝、桂歌春らがおり、特に円楽とは前座・二ツ目時代にたびたび互いの師匠のところへ稽古に通っていた[2]。また前座時代に円楽、小朝、古今亭八朝と共に『四天王弟子の会』という会を開いたこともある[3]。
落語以外では、妻はTBSラジオの名物番組大沢悠里のゆうゆうワイドなどに出演したさこみちよであり、夫婦で関東近辺にてイベントを開いて活動している。2006年には夫婦そろって群馬県片品村の親善大使に選ばれ同村のPRイベントでも活躍中。
妻が出演していたゆうゆうワイドの内包番組であるミュージックプレゼントのMC毒蝮三太夫は「立川毒まむ志」の高座名を持つ落語立川流Bコースの落語家でもあり師匠経由で夫婦ぐるみで親しい付き合いを持っている。
ご存じ古今東西噺家紳士録(エーピーピーカンパニー)
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