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日本の神奈川県橘樹郡にあった町 ウィキペディアから
稲田町(いなだまち)は、1932年(昭和7年)6月1日から1938年(昭和13年)10月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の町。
本項では前身の稲田村についても述べる。
稲毛米を産出する肥沃な水田にちなむ。稲毛米の名は橘樹郡の別である稲毛郡、あるいは同郡北部の呼称である稲毛領に由来する[1]。
京王相模原線の京王稲田堤駅は、当時は未開業。なお、向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)は旧向丘村(むかおかむら)大字長尾(現多摩区長尾)に所在した。
大字がそのまま引き継がれ、2012年現在もすべて旧村名が現存する。合併後に登戸の一部より登戸新町が、菅の一部より菅稲田堤、菅野戸呂、菅馬場、菅北浦、菅仙谷、菅城下が起立。
川崎市への編入後も町役場のあった登戸地区をはじめとした旧町域では「稲田」の名称が公共施設などで使用されていたが、1955年に小田急電鉄が稲田多摩川駅を登戸多摩川駅(1958年に南武線と同名の登戸駅へ再改称)、稲田登戸駅を向ヶ丘遊園駅に改称したのに続き、1972年の政令指定都市化に伴う多摩区設置で図書館や警察署などが「稲田」から「多摩」に変更された。2006年には稲田登戸病院も閉院し、現在の登戸地区で「稲田」の名称を関するのは不動産業の「稲田農業不動産」などの少数例に留まる。これに対し、稲田堤駅のある菅地区では1971年に開業した京王相模原線の新駅も「京王稲田堤駅」となり、現在でも「稲田堤」という形で「稲田」の名前が多く残されている。
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