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脚本家 ウィキペディアから
眞島 浩一(ましま こういち、1964年7月23日-[1][2])は、脚本家、漫画原作者、ゲームシナリオライター。青木健生と共作のペンネームとしてましま蒼樹を使う[3]。社団法人日本シナリオ作家協会会員[1]。新潟県新潟市出身[2]。2002年、アニメ『パタパタ飛行船の冒険』でデビュー[2]。総合学園ヒューマンアカデミーのシナリオ総合講座講師[4]。アンドリーム(&REAM)所属。
新潟南高校を卒業後、専修大学の法学部に入学。在学中に、一年間のイギリス留学を経験。翌年には世界放浪の旅に出る。卒業後、IT関連の企業に就職する。会社で社内報の作成などを手掛けるうちに、文章で生計を立てることを志すようになり、9ヶ月ほどで退職する。当初は小説家志望であったが、劇団『テアトル・エコー』を卒業した友人たちの舞台を手伝ううちに、その脚本を担当するようになる。脚本家として、劇団『大人計画』のオーディションを受け、合格した経験もある[5]。
日本シナリオ作家協会のシナリオ講座に入学し、脚本家・猪又憲吾と出会い、師事を受ける。猪又憲吾とは、氏が亡くなるまでずっと師と仰ぎ続け、また今も変わらず仰ぎ続けている。オリジナル作品『黒の奔流』で、第11回・大伴昌司賞ノミネート賞を受賞し、2002年アニメ『パタパタ飛行船の冒険』でデビューする[5]。
デビューのきっかけとして、JCM(株式会社ジャパンクリエイティブマネージメント Japan Creative Management Co.,Ltd. / 前身は(株)クリエーターズ・エージェンシー)代表取締役社長の赤嶺和彦に目を掛けられたことだった。同年(2002年)にはアニメ『爆闘宣言ダイガンダー』でさらに飛躍[5]。
2005年には、特撮『幻星神ジャスティライザー』において、川北紘一特撮技術監督に声を掛けられ、脚本執筆に参加。川北との出会いは、2001年にまで遡り、当時東宝映像美術においてプロデューサー業務をしていた川北と供に、『私は死にかけた! 奇跡の生還(日本テレビ)』の一コーナーの『ゴジラのスーツアクター』編を手掛けたのがきっかけだった[5]。
また同年には、東宝映像美術が警視庁より受注した「制圧逮捕教養ビデオ」の脚本を担当し、優秀賞を受賞している。ただし、一般では視聴されない作品である[5]。
2009年待田堂子を中心とした脚本家チームで多くの話を執筆した。この待田との出会いをきっかけに、エッジワークスの代表取締社長であり、脚本家の山野辺一記と知り合い、ゲーム・シナリオの執筆への足掛かりとなる。ゲーム・シナリオ作家としてのデビューは、『SAMURAI 7』(PS2)である。エッジワークスと供に、『ひぐらしのなく頃に祭』、『家庭教師ヒットマンREBORN! ドリームハイパーバトル! 死ぬ気の炎と黒き記憶』、『タユタマ -Kiss on my Deity-』、『ヴァンパイア騎士DS』など、現在も多くの作品に携わっている[5]。
※株式会社エッジワークス名義含む
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