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池江 泰寿(いけえ やすとし、1969年1月13日[1] - )は日本中央競馬会(JRA)の調教師。東山高等学校[2]を経て同志社大学文学部[3]卒業。栗東トレーニングセンター所属。
父は元調教師の池江泰郎[4]、伯父に池江敏郎元厩務員がいる[5]。同級生に武豊がおり、幼馴染みである[4]。騎手を志したが、中学2年生時の1年間で身長が14cm伸びたため[6]、騎手になるのを断念した[4]。1年浪人後同志社大学に入学、大学4年の夏休みに6週間ケンブリッジの英語学校に通った[7]。
1993年浅見国一厩舎所属の調教厩務員に、同年浅見国一厩舎所属の調教助手となる[1]。
1994年池江泰郎厩舎に移籍[1]。ステイゴールドなどを管理した[8]。その後、1995年にはイギリスに、1996年からはアメリカに渡り、マイケル・スタウト厩舎やニール・ドライスデール厩舎で調教助手を勤め、腕を磨く[1]。
2003年に調教師免許を取得し、2004年に厩舎を開業[1]。2004年3月20日、ソニックサーパス号で初出走、初勝利を挙げた[9]。
以降は順調に勝ち星を重ね、2006年にドリームジャーニーが朝日杯フューチュリティステークスで初重賞制覇にして初のGI勝利[10]。2008年は最多勝利調教師賞のタイトルを受賞している[9]。
父が2011年2月に定年で調教師を引退することに伴い、在籍していたトゥザグローリーなどを引き継いだ[11]。
2011年東京優駿にて、父・泰郎が管理した、父ステイゴールドと母父メジロマックイーンという池江家ゆかりの血統であるオルフェーヴルで[12]、史上2組目となる親子2代でのダービー勝利であった[注釈 1][13]。また42歳4カ月17日でのダービー勝利は、グレード制導入後では、最年少ダービー調教師となった[13](2024年安田翔伍調教師により更新)。オルフェーヴルは菊花賞も制し、史上初めて親子で三冠馬を管理した調教師となった[14]。さらに翌週の天皇賞(秋)もトーセンジョーダンで制し、2週連続GI制覇を達成した[15]。父泰郎は1991年にメジロマックイーン(1位入線後に斜行のため最下位に降着)での天皇賞(秋)制覇を逃しており、息子が20年後に雪辱を果たした形となった[16]。またオルフェーヴルでは同年の有馬記念も制し、兄ドリームジャーニーとの兄弟制覇も成し遂げた。
2012年、13年とオルフェーヴルで凱旋門賞制覇を狙ったがいずれも前哨戦のフォワ賞こそ勝利したものの2着と敗れている。
2015年優駿牝馬をミッキークイーンで優勝し、自身初の牝馬GI制覇となった[17]。また同馬で秋華賞も制し、牝馬二冠を達成した。
2016年にはサトノダイヤモンドで牡馬クラシックを賑わせる。皐月賞、ダービーと3、2着と惜敗したが三冠最後の一戦菊花賞で見事に優勝。鞍上のクリストフ・ルメール騎手にとってはこれが日本での初クラシック競走制覇に、馬主の里見治にとっては馬主生活初のGI制覇となった。このコンビは続く有馬記念でもキタサンブラックをゴール直前で差し切り優勝。この勝利で池江厩舎は史上最多の有馬記念4勝目という大記録を達成した。また里見オーナーとのコンビでは他にもサトノアラジンで2017年の安田記念を、サトノクロニクルでチャレンジカップを、サトノアーサーで2018年のエプソムカップを制するなど活躍している。特にサトノアラジンでの安田記念勝利の際には「この馬(サトノアラジン)でGIを獲れなかったら調教師失格」とコメントしている。
2017年には皐月賞をアルアインで勝利し、2着にも自厩舎のペルシアンナイトが入りワンツーを決めている。そしてペルシアンナイトも秋にはマイルチャンピオンシップを制しGIホースの仲間入りを果たした。
2018年はGIで勝利は挙げられず重賞4勝に留まった。
きさらぎ賞史上最多の4勝を挙げており、2019年にダノンチェイサーで制した際には「定年まであと6つは勝ちたい」と語っている。
太字はGI級競走を示す。
※括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
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