正親町公蔭
鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿・歌人。正二位・権大納言。後期京極派の歌人。出家。正親町家2代。子に弁耀(1311-1387.5.9、空悟上人、異門住高山寺、弁輝) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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正親町 公蔭(おおぎまち きんかげ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。権大納言・正親町実明の子。京極為兼の養子となり、京極家の後継者と目されていた。しかし、為兼の失脚により正親町家を継いだ。官位は正二位・権大納言。後期京極派の歌人としても活躍。
概要 凡例正親町公蔭, 時代 ...
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 永仁5年(1297年) |
死没 | 延文5年/正平15年10月19日(1360年11月28日) |
改名 | 京極忠兼→小倉実寛→正親町公蔭→空靜(法号) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇 |
氏族 | 正親町家→御子左流京極家→小倉家→正親町家 |
父母 |
父:正親町実明、母:松殿兼嗣の娘 養父:京極為兼、小倉公雄 |
兄弟 | 守子、広義門院廊御方、公蔭、実子、慈能、一条局、後伏見院対御方、陽徳門院西御方、宣光門院廊御方、花園院女房対御方 |
妻 | 北条種子(北条久時の娘) |
子 | 弁耀、忠季、実文、徽安門院一条 |
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