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『李陵』(りりょう)は、『漢書』(「李広蘇建伝」「匈奴伝」「司馬遷伝」)、『史記』(「李将軍列傳」「太史公自序」)、『文選』(「答蘇武書」「任少卿報書」)等を典拠とした、中島敦の短編小説である[1]。中島没後の昭和18年(1943年)7月、『文學界』に発表された(脱稿は前年10月)[2]。『李陵』という題名は、深い交友のあった深田久弥が、遺稿に最も無難な題名を選び命名したもので、中島自身は「漠北悲歌」などいくつかの題を記したメモを遺していた[1]。
漢の武帝のとき、匈奴征伐の際に、善戦およばず捕虜となった李陵は、匈奴単于に厚遇される。李陵は自己弁護をせず、胡の地に残る。一方、匈奴に順うのを潔しとしない蘇武は、苦節19年の末祖国に帰る。宮刑に処せられるも『史記』を執筆する司馬遷。三者三様の生き様を描いた。
前漢の武帝から昭帝の時代、匈奴と戦い俘虜となった李陵のことを中心として描かれている。李陵、司馬遷、蘇武の3名が主要人物として登場する。
「李陵」という題は、深田久弥が遺稿に最も無難な題名を選び命名したものである[5]。中島自身が書き残したメモには「漠北悲歌」の語があるが、その字を消してある部分も同時に見えるため断定しにくく、無難な「李陵」となったのではないかとされている[5]。
草稿は長らく不明になっていたが、1961年(昭和36年)に発見され[6]、写真版を収めた
が刊行されている[6]。さらに山下真史や村田秀明は草稿や浄書原稿を分析し、中島自身が書籍化した場合の本文を検討する[6]。この試みは
として註釈付きで書籍化され、注目を集めた[6][8]。この版においては、中島のメモの最後にあった「李陵・司馬遷」をタイトルとしている[9]。
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