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李氏朝鮮の王妃 ウィキペディアから
昭憲王后沈氏(しょうけんおうこう・しんし/ソホンワンフ・シムシ、1395年10月12日 - 1446年4月19日)は、李氏朝鮮第4代王・世宗の正妃。本貫は青松沈氏。
昭憲王后は京畿道揚州の名門の一員で、のちの領議政沈温(シムオン)の娘として生まれ、13歳で第3代王・太宗の三男、忠寧大君と結婚し8男2女を儲けた。本来、王族の一夫人として生涯を送るはずであったが譲寧大君が品行不良で王世子を廃位され、夫の忠寧大君が世子に昇格、沈氏は世子嬪となった。1418年、太宗の譲位で世宗が即位し王妃となる。しかし上王となった太宗は外戚を警戒し、父をはじめ一族の多くが処刑され、母三韓国大夫人安氏は奴婢に転落させられ一族は没落された。彼女自身も廃位される危機にさらされたが、世宗の懇願と彼女が子を多く産んだ功績で不問に付された。父母の名誉はのちに回復された。以後、世宗とは良好な関係を保ち、1446年に次男・首陽大君の私邸にて薨去。
なお、最後の君主である純宗まで彼女の血が流れている。また現在の李家も彼女の血筋であり、多くの子孫を残した。
先代 元敬王后 |
朝鮮王妃 在位:1418年 - 1446年 |
次代 定順王后 |
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