日本統治時代における台湾の行政区分は、総体的には十回の変更が行なわれた。1895年に初めて区分した時点では三県一庁に分けられていたが、1920年に変更された最終的な区分では五州二庁となった(ただし、1926年に澎湖庁が新設されたため、途中から五州三庁に変成された)。特筆すべき点は、その他の行政区分と比較した場合、1920年制定の区分は、最も長期間に亘って使用されていたという点である。そのため、第二次世界大戦後に中華民国国民政府が制定した台湾の行政区画は、1920年制定の区分から相当程度の影響を受けることとなった。