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日本のお笑い芸人、女性声優、タレント ウィキペディアから
斉藤 祐子(さいとう ゆうこ、1960年[6]3月9日[5] - )は、日本の女性声優、タレント、元お笑い芸人。京都府綾部市出身[2][3]。81プロデュース所属[5]。
三人姉弟の長女(弟2人)[6]。大阪府和泉市育ち[3]、和泉市立南池田小学校、石尾中学校、大阪府立泉大津高等学校卒業[3]。高校生時代は1年生のときから生徒会で会計を務めた[2]ほか、「ミルキーウェイ」という女子4人組のバンドでサイドギターとパーカッションを担当した[2]。この頃から「超人前出たがり人間」だったという[2]。高校卒業後、美術教師を目指すために大阪芸術大学を受験するも失敗[4](デザイナー志望だったこともあった)[6])。その後は盲学校の事務員、保母手伝い、学校の理科実習助手、スーパーマーケット店員、着ぐるみ俳優、仮面ライダーショーやイルカショーの司会などのアルバイトを経験[7]。しばらくして母親からアナウンサーを推されたこともあって[2]志望するようになり、アルバイトをしながらアナウンサー学校に通うようになる[7]。
1982年に『笑ってる場合ですよ!』の『お笑い君こそスターだ』でグランプリを獲得し、「斉藤ゆう子」の芸名にて吉本興業所属のお笑いタレントとしてデビュー[7]。DJ志望でもあったため、吉本から「今吉本に入るとラジオに出られます」という誘い文句で吉本入りを決めたという[2]。縁の厚い伊達眼鏡をトレードマークに知名度を獲得した。当時、アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』の大ヒットを受け、「則巻アラレ」のトレードマークである大きな縁のメガネに似ていたこともあり、作中でアラレが呼ばれていた「メガネっこ」と同様にキャプションをつけられることもあった[7]。また、テレビ放映の吉本新喜劇では、ウェイトレスという端役ながら実際「アラレちゃん」と名づけられた役を演じていた。中学1年時に『二十歳の原点』(高野悦子著)に書かれていた「二十歳になったら眼鏡をかけよう」という一文にいたく感動し、20歳になったら眼鏡をかけると強く決意し実際に20歳からかけ始める[2]。1983年の時点で眼鏡を25個所有していた[6]。なお、視力は左右とも1.5であった(1982年当時)[2]。
お笑いタレントとして活躍していたが(「今日は飛びませんね」という台詞のセブンイレブンのCM[8]やセガSG-1000のCMで手に持ったお灸風船が割れるシーンが有名である)、後述の結婚を理由に一度芸能活動から引退[9]。その後、81プロデュース所属となり声優として芸能活動に復帰した。
私生活では構成作家の東野博昭と1986年に結婚するも[10]およそ1年で離婚[11]。その後ミュージシャンと再婚したが[12]、1年半後に2度目の離婚[13]。1995年7月7日に一般男性と3度目の結婚をする[14]。「おふくろに…万歳!!」では事務所で勉強をしていた。
吉本興業所属時代に明石家さんまからネタのアドバイスを受けている。その礼を兼ねて電話連絡した際、「何が欲しいですか?」と訊いたところさんまから「あなたが欲しい」と“告白”されたことを、2014年4月13日放送の『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)にて明かした[14]。
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