豊田市
愛知県の市 ウィキペディアから
愛知県の市 ウィキペディアから
豊田市(とよたし)は、愛知県北部の三河地方に位置する都市。中核市・中枢中核都市・環境モデル都市・SDGs未来都市に指定されている。世界最大級の自動車メーカー・トヨタ自動車の企業城下町であり、市名は同社に因む。また1958年までの市名は挙母市(ころもし)。
とよたし 豊田市 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
| |||||||
| |||||||
国 | 日本 | ||||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||||
都道府県 | 愛知県 | ||||||
市町村コード | 23211-4 | ||||||
法人番号 | 5000020232114 | ||||||
面積 |
918.32km2 | ||||||
総人口 |
414,890人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||||
人口密度 | 452人/km2 | ||||||
隣接自治体 |
安城市、岡崎市、刈谷市、新城市、瀬戸市、知立市、日進市、長久手市、みよし市、北設楽郡設楽町 岐阜県:恵那市、土岐市、瑞浪市 長野県下伊那郡根羽村 | ||||||
市の木 | ケヤキ | ||||||
市の花 | ヒマワリ | ||||||
他のシンボル | - | ||||||
豊田市役所 | |||||||
市長 | 太田稔彦 | ||||||
所在地 |
〒471-8501 | ||||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||||
特記事項 |
ここでのデータは2005年4月1日の合併時のもの。 合併前のデータは本文中に掲載する。 | ||||||
ウィキプロジェクト |
日本最大の工業地域である中京工業地帯の中核的な都市であり、2019年の製造品出荷額は15兆3570億円で全国第1位と、日本を代表する工業都市である[1]。1937年に愛知県刈谷市に本社を置く豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)が同社の自動車部門を独立させて、当時の挙母町にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の工場を設立したのが当市の工業化の始まりである[2]。
人口は愛知県で名古屋市に次ぐ2位であり、面積は県内で最も広い。愛知県で最初の中核市に指定されている。隣接している岡崎市とともに西三河地区での中核都市である。
昼夜間人口比率は110.5%で、流出人口より流入人口のほうが上回っている。
豊田スタジアムは国際大会などが開催される施設であり、サッカーJリーグの名古屋グランパスエイト(J1)のホームスタジアムである。 また、名古屋市とともに名古屋グランパスのホームタウンとなっており、市内に名古屋グランパスの練習施設トヨタスポーツセンターがある。 2019年に開催されたラグビーワールドカップ2019日本大会において、豊田スタジアムでも試合が行われ、世界中から観戦者が訪れた。
毎年7月最後の週の日曜日に開催される豊田おいでんまつり花火大会は、全国の有名花火師が打ち上げるため、毎年約40万人が訪れる。
香嵐渓や稲武温泉、笹戸温泉、松平郷、勘八峡、足助の古い町並みなど景勝地・保養地・文化資源も多く、観光都市という側面も持つ。
市名の「豊田(とよた)[3]」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来する。
市制を敷いた当初は、「挙母市(ころもし)」という名称であった。自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、トヨタ自動車の本社のある挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった。また、市名変更前に生産されたトヨタ車の銘板にはカタカナで「愛知県コロモ市」と書かれていた)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があり愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された[4][注釈 1]。
「挙母」の地名は、市内町名の「挙母町」と「上挙母」、施設では名鉄三河線「上挙母駅」愛知環状鉄道線「新上挙母駅」「挙母城(七州城)」「挙母神社」「挙母小学校」、キユーピー挙母工場などに残っている。また市章も、挙母市時代に制定したものを現在も使用している。
市域は2005年4月1日の合併前の市町村域を基に、豊田・藤岡・小原・下山・足助・旭・稲武の7地区に区分される。旧豊田市(豊田地区)は昭和期の合併前の市町村域を基に、挙母・高橋・上郷・高岡・猿投・松平の6地区に区分される。さらに猿投地区を保見・猿投・石野の3地区に細分化することもある。
北部の猿投・藤岡・小原地区や、東部の松平・下山・足助・旭・小原地区には、猿投山・六所山・炮烙山などの山があり、これらの山間地域は中部山岳地帯の南縁をなしている。
挙母地区は、その南端にある「鵜の首」を出口とした盆地地形となっており、豊田盆地もしくは挙母盆地と呼ばれている。矢作川が狭くなる鵜の首により度々氾濫が起こり、その氾濫により盆地が形成されたが、この鵜の首の川幅を広げる工事が進められている[5]。
南西部の上郷・高岡地区は三河平野に連なる平坦な田園地帯であり、西側はやや高く名古屋市東部の丘陵地に連なる。市内には矢作川、籠川、伊保川、巴川、逢妻女川、逢妻男川が流れる。池には鞍ヶ池、入沢池、梅倉池、貝津新池などがある。郊外には松平氏発祥の地である松平郷がある。また北部郊外には保見団地と呼ばれる集合団地があり、日系ブラジル人が多いことで全国でも有名である。2002年のFIFAワールドカップでは開催会場からは漏れたが、優勝したブラジルを祖国に持つ「日系ブラジル人が多い地区」としてテレビで紹介され有名になった。
山間部は愛知高原国定公園に含まれており、三河高原や旭高原といった緩やかな山もあれば、旧足助町・稲武町域には標高1,000mを超える山もある。
名古屋市から飯田市、その先の塩尻市へ至る飯田街道(国道153号)は、市内においては旧豊田市域から旧足助町及び旧稲武町を通る。これはかつては「塩の道」としても重要な街道であった。別名に三州街道(「3つの州」ではなく「三河の国」の意味)、伊那街道、中馬(ちゅうま)街道などがある。これによって、愛知県尾張・三河と長野県南部・中部がつながれていた。奥三河の足助宿は、塩の物流拠点として繁栄した。伊那地方では、「足助塩」「足助直(あすけなおし)」の銘柄で呼ばれた。
市内最高地は1,229.3m(旧稲武町域/面ノ木三角点)で、最低地3.2m(駒新町)と標高差が約1,200mもある。
2005年4月1日、周辺6町村(西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町)を編入合併し、これにより東加茂郡は消滅し、西加茂郡も三好町のみを残し全ての市町村が豊田市となった。この合併により、名目上では人口が40万人の大台を突破し、市の面積は県内の面積の約18%を占めることになった。重工業都市だけあって、男性人口が非常に多い。ちなみに合併後、東海地方内では岐阜県高山市・静岡県浜松市・同県静岡市・岐阜県郡上市に次いで5番目の広さとなった。また、歴史的背景から下山村と稲武町は市外局番が豊田市と異なり、合併当初は「豊田市」という1つの行政単位に対し3つの市外局番が存在していた[注釈 2]。これらの地域へ電話する際は豊田市内からでも市外通話扱いとなり市外局番を押す必要があった。合併から2年後の2007年4月1日、合併に伴う住所変更から2年遅れで旧下山村域と旧稲武町域の市外局番が変更され、ようやく市内他地域と統一された[注釈 3]。
天気予報の気象予報区は、当市のうち旧松平町を除く旧東加茂郡の地域が愛知県東部(西三河北東部)である他は、愛知県西部(西三河北西部)になる[6]。
合併時は愛・地球博の開催期間中であり、新・豊田市は万博期間中に発足したことになる。また合併された6町村も会期中に住所が変更されるという珍事が起きた。またこれらの町村は万博に旧町村名で豊田市とは別にブースを出していた為、住所が豊田市に変更されたにもかかわらず、合併後も会期終了までの約半年間、ブースの看板には消滅した旧町村名が掲げられていた。なお、合併協議会には当初、隣接する西加茂郡三好町も入っていたが、様々な問題があり三好町は正式決定前に協議会を離脱、最終的に編入されなかった。その後、三好町は「三好市」となる計画を立てたが、先行して「三好市」となった徳島県三好市の猛反対に遭い、「みよし市」として2010年(平成22年)1月4日に市制を施行した。これにより東加茂郡消滅から遅れること約5年、遂に西加茂郡も消滅する事となった。
天狗棚(てんぐだな) | 標高は1,240メートルで市内最高地[7]、所在地は稲武町と北設楽郡設楽町津具の境界上(北緯35度11分24.66秒 東経137度34分51.58秒)。 |
1200高地 | 標高は1,229.7メートル(三等三角点「三方ノ根」)、所在地は稲武町、北設楽郡設楽町津具、長野県下伊那郡根羽村桧原の境界上(北緯35度11分55.19秒 東経137度34分42.46秒)。 |
井山(いやま) | 標高は1,195メートル、所在地は稲武町と北設楽郡設楽町西納庫の境界上(北緯35度11分7.93秒 東経137度34分8.74秒)。 |
三国山(みくにやま) | 標高は1,162.1メートル(二等三角点「三国」)、所在地は大野瀬町、岐阜県恵那市上矢作町、長野県下伊那郡根羽村高橋の境界上(北緯35度17分21.49秒 東経137度33分40.42秒)。 なお、二等三角点の所在地は岐阜県・長野県県境にある[8]。 |
寧比曽岳(ねびそだけ) | 標高は1,120.7メートル(三等三角点「大多賀Ⅲ」)、所在地は大多賀町と御内町の境界上(北緯35度8分16.31秒 東経137度26分20.86秒)。 |
筈ケ岳(はずがたけ) | 標高は985.3メートル(三等三角点「八ツ岳」)、所在地は川面町と上八木町の境界上(北緯35度8分35.94秒 東経137度24分52.04秒)。 |
月ケ平(つきがたいら) | 標高は938.1メートル(三等三角点「月ヶ平」)、所在地は稲武町(北緯35度12分11.04秒 東経137度32分57.21秒)。 |
城ケ山(中当城ケ山、なかとうじょうがさん) | 標高は918メートル、所在地は中当町と稲武町の境界上(北緯35度11分36.93秒 東経137度32分2.87秒)。 |
ハルサ峠 | 標高は909.7メートル(三等三角点「本洞」)、所在地は御所貝津町と武節町の境界上(北緯35度12分2.71秒 東経137度29分47.8秒)。 |
城ケ山(夏焼城ケ山、なつやけじょうがさん) | 標高は889.4メートル(二等三角点「稲橋」)、所在地は稲武町と夏焼町の境界上(北緯35度12分52.46秒 東経137度31分43.27秒)。 |
大洞峠(おおぼらとうげ) | 標高は867.7メートル(三等三角点「大洞峠」)、所在地は牛地町(北緯35度13分2.1秒 東経137度27分46.40秒)。 |
駒山(こまやま) | 標高は855メートル、所在地は牛地町(北緯35度13分27.74秒 東経137度27分33.58秒)。 |
内平(うちだいら) | 標高は802.9メートル(三等三角点「大平」)、所在地は中当町と北設楽郡設楽町西納庫の境界上(北緯35度10分48.98秒 東経137度31分16.6秒)。 |
水晶山(すいしょうざん) | 標高は779.9メートル(四等三角点「水晶山」)、所在地は小田木町(北緯35度11分27.98秒 東経137度26分15.06秒)。 |
押山(おしやま) | 標高は773.6メートル(三等三角点「押山」)、所在地は押山町(北緯35度14分46.78秒 東経137度30分2.86秒)。 |
木地山(きじやま) | 標高は768.9メートル(四等三角点「木地山」)、所在地は野入町(北緯35度14分6.10秒 東経137度32分53.23秒)。 |
ミミスリ山 | 標高は724.0メートル(四等三角点「大多賀」)、所在地は大野瀬町(北緯35度15分13.97秒 東経137度32分22.76秒)。 |
西山(鶴岡山、曽良山) | 標高は712.4メートル(二等三角点「細野村」)、所在地は小原田代町と岐阜県土岐市鶴里町細野の境界上(北緯35度16分51.22秒 東経137度15分37.57秒)。 |
後山(うしろやま) | 標高は710メートル、所在地は御所貝津町と桑原町の境界上(北緯35度13分27.73秒 東経137度30分8.19秒)。 |
三国山(みくにやま) | 標高は701.0メートル(三等三角点「三国峠」)、所在地は西市野々町と岐阜県土岐市鶴里町柿野の境界上(北緯35度15分17.49秒 東経137度11分24.66秒)。 なお、三等三角点の所在地は土岐市側にある[8]。 |
炮烙山(ほうろくさん) | 標高は683.6メートル(三等三角点「日明」)で、旧豊田市の最高地[9]。所在地は坂上町、下平町、大沼町の境界上(北緯35度3分37.03秒 東経137度18分10.31秒)。 |
向イ山 | 標高は642.6メートル(四等三角点「向イ山」)、所在地は怒田沢町と綾渡町の境界上(北緯35度7分37.98秒 東経137度22分11.5秒)。 |
猿投山(さなげやま) | 標高は629.0メートル(一等三角点「猿投山」)、所在地は猿投町と瀬戸市東白坂町の境界上(北緯35度12分21.27秒 東経137度10分0.56秒)。 |
折平山(おりだいらやま) | 標高は628.4メートル(三等三角点「折平」)、所在地は折平町と瀬戸市北白坂町の境界上(北緯35度13分41.85秒 東経137度11分1.24秒)。 |
六所山(ろくしょさん) | 標高は611メートル、所在地は坂上町(北緯35度3分17.75秒 東経137度17分3.12秒)。 |
十明山(とみょうざん) | 標高は571.9メートル(二等三角点「四ツ松村」)、所在地は四ツ松町(北緯35度4分51.79秒 東経137度19分6.16秒)。 |
小木山(おぎやま) | 標高は550.4メートル(四等三角点「小木山」)、所在地は怒田沢町と川面町の境界上(北緯35度8分6.99秒 東経137度22分31.53秒)。 |
秋葉山(あきばやま) | 標高は515.0メートル(三等三角点「秋葉山」)、所在地は大坪町と杉本町の境界上(北緯35度12分3.59秒 東経137度20分59秒)。 |
明見山(みょうけんざん) | 標高は496.2メートル(四等三角点「山口」)、所在地は四ツ松町と沢ノ堂町の境界上(北緯35度5分43.25秒 東経137度18分30.36秒)。 |
蚕霊山(こだまやま) | 標高は434.9メートル(三等三角点「日面」)、所在地は川下町と日面町の境界上(北緯35度12分56.85秒 東経137度18分44.44秒)。 |
砦峠(とりでとうげ) | 標高は418.6メートル(三等三角点「仁王」)、所在地は上脇町と石楠町と坂上町の境界上(北緯35度4分35.25秒 東経137度15分59.78秒)。 |
茶臼山(ちゃうすやま) | 標高は418.2メートル(四等三角点「茶臼山」)、所在地は小町と東萩平町の境界上(北緯35度11分42.26秒 東経137度19分36.73秒)。 |
生山(きびゅうやま) | 標高は374.5メートル、所在地は近岡町(北緯35度8分10.41秒 東経137度17分38.12秒)。 |
城山(しろやま) | 標高は353メートル、所在地は足助町(北緯35度8分16.11秒 東経137度18分17.17秒)。 |
物見山(ものみやま) | 標高は326.2メートル、所在地は広幡町、瀬戸市海上町、瀬戸市広久手町の境界上(北緯35度11分29.54秒 東経137度8分3.1秒)。 |
真弓山(まゆみやま) | 標高は307メートル、所在地は足助町(北緯35度8分6.00秒 東経137度19分30.71秒)。 |
飯盛山(いいもりやま) | 標高は252.6メートル、所在地は足助町(北緯35度7分57.67秒 東経137度18分58.19秒)。 |
城段戸(しろだんど) | 標高は252.7メートル(三等三角点「簗山」)、所在地は王滝町と鍋田町の境界上(北緯35度4分1.30秒 東経137度14分14.14秒)。 |
大谷山(おおややま) | 標高は248.8メートル(二等三角点「小呂村」)、所在地は小呂町と池田町の境界上(北緯35度6分21.13秒 東経137度13分35.21秒)。 |
篠本岳(ささもとだけ) | 標高は247.7メートル(三等三角点「篠本嶽」)、所在地は篠原町と本徳町の境界上(北緯35度9分35.66秒 東経137度8分33.06秒)。 |
山ノ神(やまのかみ) | 標高は247.7メートル(三等三角点「酒呑」)、所在地は幸海町(北緯35度5分34.14秒 東経137度14分26.22秒)。 |
城ケ根山(じょうがねさん) | 標高は226メートル、所在地は御作町(北緯35度11分23.75秒 東経137度14分38.4秒)。 |
蚕玉山(こだまやま) | 標高は220.8メートル、所在地は折平町(北緯35度12分44.9秒 東経137度11分58.31秒)。 |
秋葉山(あきばやま) | 標高は198メートル、所在地は穂積町(北緯35度4分34.63秒 東経137度13分58.66秒)。 |
岩谷山(いわやさん) | 標高は190メートル、所在地は九久平町と大内町の境界上(北緯35度3分2.59秒 東経137度13分20.23秒)。 |
勘八山(かんぱちやま) | 標高は171メートル、所在地は勘八町(北緯35度7分36.82秒 東経137度13分8.02秒)。 |
若草山(わかくさやま) | 標高は139.4メートル、所在地は矢並町(北緯35度5分49.38秒 東経137度13分11.86秒)。 鞍ヶ池公園の一角をなし、山頂に美しの塔が建つ。 |
天神山(てんじんやま) | 標高は138.3メートル、所在地は大畑町(北緯35度9分54.23秒 東経137度6分43.12秒)。 |
大高山(おおたかさん) | 標高は126.2メートル(三等三角点「越戸」)、所在地は平戸橋町と御船町の境界上(北緯35度7分26.19秒 東経137度11分52.62秒)。 |
野見山(のみやま) | 標高は116.8メートル(四等三角点「野見」)、所在地は野見山町と宮前町の境界上(北緯35度3分47.62秒 東経137度10分59.74秒)。 |
渡合山(どあいさん) | 標高は105.6メートル、所在地は琴平町(北緯35度2分14.36秒 東経137度10分47.92秒)。 |
秋葉山(あきばやま) | 標高は73.9メートル(三等三角点「長興寺」)、所在地は秋葉町(北緯35度3分36.14秒 東経137度10分20.28秒)。 |
豊田市(1991年- 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.8 (64) |
22.2 (72) |
25.1 (77.2) |
30.5 (86.9) |
34.4 (93.9) |
39.3 (102.7) |
39.8 (103.6) |
39.6 (103.3) |
38.1 (100.6) |
32.2 (90) |
26.5 (79.7) |
22.6 (72.7) |
39.8 (103.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.1 (48.4) |
10.3 (50.5) |
14.2 (57.6) |
19.9 (67.8) |
24.7 (76.5) |
27.7 (81.9) |
31.5 (88.7) |
33.3 (91.9) |
29.2 (84.6) |
23.3 (73.9) |
17.4 (63.3) |
11.6 (52.9) |
21.0 (69.8) |
日平均気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
4.5 (40.1) |
8.3 (46.9) |
13.7 (56.7) |
18.5 (65.3) |
22.3 (72.1) |
26.3 (79.3) |
27.4 (81.3) |
23.7 (74.7) |
17.6 (63.7) |
11.4 (52.5) |
5.9 (42.6) |
15.3 (59.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.3 (29.7) |
−0.8 (30.6) |
2.4 (36.3) |
7.5 (45.5) |
12.7 (54.9) |
17.8 (64) |
22.1 (71.8) |
23.0 (73.4) |
19.3 (66.7) |
12.9 (55.2) |
6.3 (43.3) |
1.0 (33.8) |
10.2 (50.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.6 (16.5) |
−8.8 (16.2) |
−5.6 (21.9) |
−2.6 (27.3) |
0.8 (33.4) |
8.2 (46.8) |
14.7 (58.5) |
14.1 (57.4) |
6.5 (43.7) |
1.1 (34) |
−2.5 (27.5) |
−7.6 (18.3) |
−8.8 (16.2) |
降水量 mm (inch) | 48.0 (1.89) |
61.2 (2.409) |
112.0 (4.409) |
119.5 (4.705) |
142.2 (5.598) |
183.6 (7.228) |
195.3 (7.689) |
125.8 (4.953) |
201.8 (7.945) |
152.8 (6.016) |
75.9 (2.988) |
52.6 (2.071) |
1,470.4 (57.89) |
平均月間日照時間 | 171.6 | 175.0 | 198.7 | 203.0 | 202.6 | 148.5 | 172.1 | 209.6 | 161.6 | 168.6 | 166.2 | 165.9 | 2,143.3 |
出典:気象庁[11] |
稲武(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 15.3 (59.5) |
18.2 (64.8) |
24.1 (75.4) |
27.4 (81.3) |
30.5 (86.9) |
34.7 (94.5) |
35.5 (95.9) |
35.0 (95) |
33.6 (92.5) |
29.4 (84.9) |
22.7 (72.9) |
19.7 (67.5) |
35.5 (95.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 5.4 (41.7) |
6.9 (44.4) |
11.1 (52) |
16.9 (62.4) |
21.5 (70.7) |
24.4 (75.9) |
28.0 (82.4) |
29.4 (84.9) |
25.8 (78.4) |
20.2 (68.4) |
14.3 (57.7) |
8.2 (46.8) |
17.7 (63.9) |
日平均気温 °C (°F) | 0.2 (32.4) |
1.0 (33.8) |
4.8 (40.6) |
10.2 (50.4) |
15.2 (59.4) |
19.1 (66.4) |
22.9 (73.2) |
23.7 (74.7) |
20.1 (68.2) |
14.1 (57.4) |
7.8 (46) |
2.5 (36.5) |
11.8 (53.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −4.1 (24.6) |
−3.9 (25) |
−0.7 (30.7) |
3.9 (39) |
9.3 (48.7) |
14.7 (58.5) |
18.9 (66) |
19.6 (67.3) |
16.1 (61) |
9.5 (49.1) |
2.8 (37) |
−1.9 (28.6) |
7.0 (44.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −13.9 (7) |
−16.1 (3) |
−11.2 (11.8) |
−5.7 (21.7) |
−0.9 (30.4) |
4.3 (39.7) |
11.3 (52.3) |
9.6 (49.3) |
3.8 (38.8) |
−1.8 (28.8) |
−6.5 (20.3) |
−12.0 (10.4) |
−16.1 (3) |
降水量 mm (inch) | 69.7 (2.744) |
85.8 (3.378) |
160.6 (6.323) |
157.8 (6.213) |
169.4 (6.669) |
223.8 (8.811) |
281.8 (11.094) |
214.4 (8.441) |
296.3 (11.665) |
190.5 (7.5) |
99.4 (3.913) |
76.8 (3.024) |
2,026.2 (79.772) |
平均月間日照時間 | 143.9 | 157.3 | 183.6 | 195.2 | 193.4 | 136.3 | 154.3 | 187.4 | 149.4 | 156.3 | 153.1 | 139.4 | 1,949.7 |
出典:気象庁[12] |
豊田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 豊田市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 豊田市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
市域では、古くから人の活動が見られ、水入遺跡等から後期旧石器時代の石器が発掘されている。隆起線文土器等が発掘された、酒呑ジュリンナ遺跡は、縄文時代の遺跡としては愛知県内最古のものである。弥生時代には梅坪遺跡等の環濠集落も現れた。また高橋遺跡は、弥生時代の集落跡として三河地方最大級である。古墳時代、児ノ口社には落別王墓とされる前方後円墳が築かれたと伝わる。この他、6世紀に作られた猿投の池田1号墳等、矢作川流域を中心に多数の古墳が造られた[14]。また、古墳時代後期から鎌倉時代初期にかけ猿投窯が作られた。
奈良時代に建立されたとみられる猿投にある国の史跡・舞木廃寺塔跡からは、物部氏菩提寺とされる巨大古代寺院北野廃寺跡(愛知県岡崎市北野町)と同型の瓦が出土している[15]。矢作川東部は、古代に賀茂郡(鴨評)山田郷・高橋郷と呼ばれ、物部氏の西三河における本拠地の1つだったことが、石神遺跡出土の木簡から確認できる。『古事記』には、「衣」「許呂母」(ころも)の地名が登場する。奈良時代の好字二字令によって、挙母(ころも)という表記が用いられるようになった。一説に、三河湾の衣浦は、この衣(ころも)から由来するとも言う。平安時代には、伊保郷、高橋郷、挙母(衣)郷、畝部郷、若林郷等が成立し、その後高橋荘、高橋新荘(足助荘)、碧海荘、重原荘等の荘園が開発された[16]。
鎌倉時代、鎌倉幕府重臣の中条氏が高橋荘地頭となり、室町時代にかけて、国人領主の三河鈴木氏や三宅氏を被官として、挙母城を築いて支配した。中条氏は猿投神社に多くの寄進をし、長興寺を菩提寺として建立した。また、足助は平安時代末期に奥三河の大部分を占める足助荘の荘官となった足助氏が、足助城等足助七屋敷を築いて支配したとされる。足助荘は後宇多院領、のち八条院領、大覚寺統領で、足助重範等の足助氏は南朝に与し衰亡し三河鈴木氏に代わった。室町時代、飯盛山の足助氏居館跡には、菩提を弔うため香積寺が建立された。松平郷では国人領主の松平氏が興って、岩津城(岡崎市岩津町)に進出すると松平郷松平家が分家され置かれた。
戦国時代、明応2年(1493年)10月の井田野の戦い(岡崎市井田町)で松平氏宗家第4代松平親忠に敗北して以降中条氏は衰退した。松平郷付近には親忠の子が分家し、大給松平家、滝脇松平家が置かれた。中条氏被官三河鈴木氏は寺部、酒呑、足助等に分家し、寺部城、足助城等を居城としたが、武田信玄や今川氏の傘下等を経て永禄7年(1564年)以降岡崎城の徳川家康家臣となった。同じく足助にまで勢力を伸ばしていた中条氏被官三宅氏も、永禄9年(1558年)以降徳川家康の家臣となった。稲武は、山家三方衆菅沼氏が支配して武節城を築いたが、武田信玄に奪われ、武田氏滅亡後は徳川家康家臣の奥平氏が支配した。
江戸時代、衣(挙母)には挙母藩が置かれ、城下町として栄えた。慶長9年(1604年)に衣に1万石で入部した三宅氏は、現在の名鉄豊田市駅に程近い位置に桜城という城を築いたが、のちに領主の交代に伴い破却された。寛延2年(1749年)に内藤氏が挙母に2万石で入部し、桜城の改修を図ったが、完成直前に矢作川の氾濫により流出した。そのため、内藤家2代・内藤学文(さとふみ)によって、高台の童子山に新たな城である七州城が築かれた。このため城下町の範囲は、旧来の豊田市駅周辺の地域と現在の豊田市美術館や名鉄上挙母駅などを含む地域に大きく二分される。
足助には交代寄合旗本の本多家の治める陣屋(足助陣屋)があった。寺部には尾張藩重臣の渡辺家1万石の陣屋があった。酒呑には旗本酒呑鈴木家の1,120石の陣屋があった。松平郷には、交代寄合旗本松平家の陣屋が置かれた。一時期、市北部の伊保にも伊保藩が置かれたが、短期間で消滅している。また、市内の一部には刈谷藩領、岡崎藩領もあった[16]。
郡 | 明治22年以前 | 明治22年 10月1日 町村制施行 |
明治22年 - 明治33年 | 明治34年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西 加 茂 郡 |
挙母村 | 挙母村 | 明治25年1月29日 町制 挙母町 |
明治39年7月1日 合併 挙母町 |
昭和26年3月1日 市制 挙母市 |
昭和34年1月1日 改称 豊田市 |
豊田市 | 豊田市 | |||
梅ケ坪村 | 梅坪村 | 梅坪村 | |||||||||
本地村 | 逢妻村 | 逢妻村 | |||||||||
土橋村 | |||||||||||
千足村 | |||||||||||
金谷村 | 根川村 | 根川村 | |||||||||
下林村 | |||||||||||
下市場村 | |||||||||||
長興寺村 | |||||||||||
今村 | |||||||||||
西山室村 | |||||||||||
西宮口村 | 宮口村 | 宮口村 | |||||||||
寺部村 | 寺部村 | 寺部村 | 明治39年7月1日 合併 高橋村 |
昭和31年9月30日 挙母市に編入 | |||||||
古瀬間村 | 益富村 | 益富村 | |||||||||
南古瀬間村 | |||||||||||
西大見村 | |||||||||||
飛泉村 | |||||||||||
牛野村 | 野見村 | 野見村 | 野見村 | ||||||||
東山室村 | |||||||||||
御立村 | |||||||||||
森村 | |||||||||||
下渡合村 | |||||||||||
渋川村 | 渋川村 | 渋川村 | |||||||||
上野山村 | 上野山村 | 上野山村 | |||||||||
市木村 | 市木村 | 市木村 | |||||||||
平井村 | 平井村 | 平井村 | |||||||||
矢並村 | 四谷村 | 四谷村 | |||||||||
岩滝村 | |||||||||||
池田村 | |||||||||||
元山中村 | 明治39年7月1日 合併 石野村 |
昭和30年3月1日 猿投町に編入 |
猿投町 | 昭和42年4月1日 豊田市に編入 | |||||||
力石村 | 石下瀬村 | 石下瀬村 | 石下瀬村 | ||||||||
東枝下村 | |||||||||||
東広瀬村 | |||||||||||
国附村 | |||||||||||
小峰村 | |||||||||||
中切村 | 中野村 | 中野村 | |||||||||
中金村 | |||||||||||
野口村 | |||||||||||
山路村 | |||||||||||
室村 | |||||||||||
椿村 | |||||||||||
小白見村 | |||||||||||
寺谷下村 | 七重村 | 七重村 | |||||||||
手呂村 | |||||||||||
成合村 | |||||||||||
千鳥村 | |||||||||||
上鷹見村 | |||||||||||
下鷹見村 | |||||||||||
小呂村 | |||||||||||
伊保堂村 | 伊保村 | 伊保村 | 明治39年7月1日 合併 保見村 | ||||||||
上伊保村 | |||||||||||
下伊保村 | |||||||||||
殿貝津村 | |||||||||||
田籾村 | |||||||||||
八草村 | 橋見村 | 橋見村 | |||||||||
篠原村 | |||||||||||
西広見村 | |||||||||||
大畑村 | |||||||||||
猿投村 | 広沢村 | 広沢村 | 明治39年7月1日 合併 猿投村 |
昭和28年4月1日 町制 猿投町 | |||||||
本徳村 | |||||||||||
乙部村 | |||||||||||
亀首村 | |||||||||||
加納村 | |||||||||||
舞木村 | |||||||||||
四郷村 | 上郷村 | 上郷村 | |||||||||
荒井村 | |||||||||||
花本村 | |||||||||||
越戸村 | |||||||||||
御船村 | |||||||||||
西広瀬村 | 富貴下村 | 富貴下村 | |||||||||
西枝下村 | |||||||||||
藤沢村 | 明治39年7月1日 合併 石野村 |
昭和30年3月1日 猿投町に編入 | |||||||||
富田村 | |||||||||||
松嶺村 | |||||||||||
押沢村 | |||||||||||
御作村 | 明治39年7月1日 合併 藤岡村 |
藤岡村 | 昭和53年4月1日 町制 藤岡町 |
藤岡町 | 平成17年4月1日 豊田市に編入 | ||||||
上川口村 | |||||||||||
下川口村 | |||||||||||
飯野村 | 藤河村 | 藤河村 | |||||||||
西中山村 | |||||||||||
深見村 | |||||||||||
田茂平村 | |||||||||||
迫村 | |||||||||||
北一色村 | |||||||||||
石飛村 | |||||||||||
上渡合村 | 高岡村 | 高岡村 | |||||||||
折平村 | |||||||||||
北曽木村 | |||||||||||
石畳村 | |||||||||||
西市野々村 | |||||||||||
白川村 | |||||||||||
大岩村 | |||||||||||
三箇村 | |||||||||||
木瀬村 | |||||||||||
西細田村 | 本城村 | 本城村 | 明治39年7月1日 合併 小原村 |
小原村 | 小原村 | ||||||
市場村 | |||||||||||
大坂村 | |||||||||||
大草村 | |||||||||||
鍛冶屋敷村 | |||||||||||
李村 | |||||||||||
百月村 | |||||||||||
簗平村 | |||||||||||
川下村 | |||||||||||
日面村 | |||||||||||
平畑村 | |||||||||||
榑俣村 | |||||||||||
乙ケ林村 | 豊原村 | 豊原村 | |||||||||
大平村 | |||||||||||
寺平村 | |||||||||||
荷掛村 | |||||||||||
大洞村 | |||||||||||
三ツ久保村 | |||||||||||
沢田村 | |||||||||||
西萩平村 | |||||||||||
千洗村 | |||||||||||
喜佐平村 | |||||||||||
北篠平村 | |||||||||||
上仁木村 | 福原村 | 福原村 | |||||||||
東市野々村 | |||||||||||
北村 | |||||||||||
川見村 | |||||||||||
柏ケ洞村 | |||||||||||
雑敷村 | |||||||||||
前洞村 | |||||||||||
大ケ蔵連村 | |||||||||||
小村 | |||||||||||
田代村 | |||||||||||
永太郎村 | 清原村 | 清原村 | |||||||||
松名村 | |||||||||||
下仁木村 | |||||||||||
遊屋村 | |||||||||||
西丹波村 | |||||||||||
平岩村 | |||||||||||
宮代村 | |||||||||||
苅萱村 | |||||||||||
岩下村 | |||||||||||
大倉村 | |||||||||||
北大野村 | |||||||||||
東 加 茂 郡 |
松平村 | 松平村 | 松平村 | 明治39年5月1日 合併 松平村 |
松平村 | 昭和36年11月1日 町制 松平町 |
昭和45年4月1日 豊田市に編入 |
豊田市 | |||
九久平村 | 小川村 | 小川村 | |||||||||
中村 | |||||||||||
中垣戸村 | |||||||||||
桂野村 | |||||||||||
川向村 | |||||||||||
七売村 | |||||||||||
滝脇村 | |||||||||||
西大沼村 | 長沢村 | ||||||||||
遊平村 | |||||||||||
林添村 | |||||||||||
下河内村 | |||||||||||
大給村 | |||||||||||
鍋田村 | |||||||||||
曲り村 | |||||||||||
岩倉村 | 志賀村 | 志賀村 | |||||||||
赤原村 | |||||||||||
六ツ木村 | |||||||||||
正作村 | 豊栄村 | 豊栄村 | |||||||||
大楠村 | |||||||||||
簗山村 | |||||||||||
堤立村 | |||||||||||
大田村 | |||||||||||
茅原村 | |||||||||||
椿木村 | |||||||||||
歌石村 | |||||||||||
羽明村 | |||||||||||
大津村 | |||||||||||
二口村 | |||||||||||
下屋敷村 | |||||||||||
所石村 | |||||||||||
杉木村 | |||||||||||
仁王村 | |||||||||||
東宮口村 | |||||||||||
真垣内村 | |||||||||||
南簗平村 | |||||||||||
日明村 | |||||||||||
岩谷村 | 明治39年5月1日 合併 盛岡村 |
昭和30年4月1日 足助町に編入 |
足助町 | 足助町 | 平成17年4月1日 豊田市に編入 | ||||||
下平村 | |||||||||||
霧山村 | 穂積村 | 穂積村 | |||||||||
則定村 | |||||||||||
酒呑村 | 明治39年5月1日 合併 松平村 |
松平村 | 昭和36年11月1日 町制 松平町 |
昭和45年4月1日 豊田市に編入 |
豊田市 | ||||||
白瀬村 | |||||||||||
重田和村 | |||||||||||
西野村 | |||||||||||
二本木村 | |||||||||||
足助村 | 足助村 | 明治23年12月17日 町制 足助町 |
足助町 | 足助町 | 足助町 | 足助町 | 平成17年4月1日 豊田市に編入 | ||||
中之御所村 | |||||||||||
今朝平村 | |||||||||||
上国谷村 | 盛岡村 | 盛岡村 | 明治39年5月1日 合併 盛岡村 |
昭和30年4月1日 足助町に編入 | |||||||
四ツ松村 | |||||||||||
冷田村 | |||||||||||
上小田村 | |||||||||||
沢ノ堂村 | |||||||||||
平折村 | |||||||||||
国閑村 | |||||||||||
上脇村 | |||||||||||
下佐切村 | |||||||||||
上佐切村 | |||||||||||
下国谷村 | |||||||||||
中国谷村 | |||||||||||
桑原田村 | |||||||||||
栃本村 | |||||||||||
大野村 | 野林村 | ||||||||||
籠林村 | |||||||||||
井ノ口村 | 追分村 | ||||||||||
寺沢村 | |||||||||||
近岡村 | |||||||||||
大島村 | |||||||||||
田振村 | |||||||||||
岩神村 | |||||||||||
戸中村 | 金沢村 | 金沢村 | |||||||||
川端村 | |||||||||||
山蕨村 | 山ケ谷村 | 明治39年5月1日 合併 賀茂村 | |||||||||
浅谷村 | |||||||||||
有洞村 | |||||||||||
綾渡村 | |||||||||||
大蔵連村 | |||||||||||
椿立村 | |||||||||||
室平村 | 室口村 | ||||||||||
足口村 | |||||||||||
漆畑村 | |||||||||||
山ノ中立村 | |||||||||||
東大見村 | |||||||||||
葛沢村 | |||||||||||
安実京村 | |||||||||||
御内蔵連 | |||||||||||
明川村 | 伊勢神村 | 伊勢神村 | |||||||||
連谷村 | |||||||||||
平沢村 | |||||||||||
大多賀村 | |||||||||||
桑田和村 | 賀茂村 | 賀茂村 | |||||||||
千田村 | |||||||||||
上貝戸村 | 二夕宮村 | ||||||||||
東丹波村 | |||||||||||
上八木村 | |||||||||||
怒田沢村 | |||||||||||
市ケ瀬村 | 龍岡村 | ||||||||||
須田村 | |||||||||||
足原村 | |||||||||||
千野村 | |||||||||||
菅生村 | |||||||||||
越田和村 | |||||||||||
川面村 | |||||||||||
五反田村 | |||||||||||
久木村 | 明治26年2月2日 分立 大和村 |
明治39年5月1日 合併 阿摺村 | |||||||||
林間村 | 林間村 | ||||||||||
深折村 | |||||||||||
北小田村 | |||||||||||
大井村 | 福知村 | ||||||||||
南細田村 | |||||||||||
大地沢村 | 豊岡村 | ||||||||||
安代村 | |||||||||||
八桑村 | 新盛村 | ||||||||||
菅田和村 | |||||||||||
玉ケ瀬村 | 玉野村 | ||||||||||
永野村 | |||||||||||
西樫尾村 | 広岡村 | 阿摺村 | 阿摺村 | ||||||||
東渡合村 | |||||||||||
小町村 | |||||||||||
御蔵村 | |||||||||||
実栗村 | |||||||||||
大蔵村 | |||||||||||
切山村 | |||||||||||
小手沢村 | |||||||||||
月原村 | |||||||||||
摺村 | 明治27年6月4日 分立 瑞穂村 | ||||||||||
葛村 | |||||||||||
深田村 | 白山村 | ||||||||||
東広見村 | |||||||||||
栃ノ沢村 | |||||||||||
中立村 | |||||||||||
大河原村 | |||||||||||
東中山村 | |||||||||||
大塚村 | |||||||||||
塩ノ沢村 | |||||||||||
牛地村 | 生駒村 | 生駒村 | 明治39年5月1日 合併 旭村 |
旭村 | 旭村 | 昭和42年4月1日 町制 旭町 |
旭町 | ||||
小滝野村 | |||||||||||
田津原村 | |||||||||||
閑羅瀬村 | |||||||||||
余平村 | 介木村 | 介木村 | |||||||||
太田村 | |||||||||||
万町村 | |||||||||||
明賀村 | |||||||||||
小渡村 | |||||||||||
時瀬村 | |||||||||||
槙本村 | 築羽村 | 築羽村 | |||||||||
小畑村 | |||||||||||
坪崎村 | |||||||||||
日下部村 | |||||||||||
伯母沢村 | |||||||||||
岡村 | 八幡村 | ||||||||||
高蔵村 | |||||||||||
上伊熊村 | 伊熊村 | ||||||||||
下伊熊村 | |||||||||||
惣田村 | |||||||||||
沢尻村 | 杉本村 | 野見村 | 野見村 | ||||||||
大垣内村 | |||||||||||
源重村 | |||||||||||
九沢村 | |||||||||||
白石村 | |||||||||||
東加塩村 | |||||||||||
押手村 | 押井村 | ||||||||||
二井寺村 | |||||||||||
万根村 | |||||||||||
菊田村 | |||||||||||
鳥巣村 | 榊野村 | ||||||||||
月畑村 | |||||||||||
小沢村 | |||||||||||
能見村 | |||||||||||
有間村 | |||||||||||
笹戸村 | |||||||||||
市平村 | |||||||||||
池島村 | |||||||||||
大坪村 | 大坪村 | ||||||||||
高能村 | |||||||||||
東萩平村 | |||||||||||
岐 阜 県 恵 那 郡 |
浅谷村 | 浅谷村 | 浅谷村 | 明治23年5月1日 合併 三濃村(一部) |
三濃村(一部) | 昭和30年4月1日 愛知県東加茂郡 旭村に編入 | |||||
須渕村 | |||||||||||
一色村 | 野原村 | 野原村 | |||||||||
上切村 | |||||||||||
上中切村 | |||||||||||
下中切村 | |||||||||||
下切村 | |||||||||||
北 設 楽 郡 |
稲橋村 | 稲橋村 | 稲橋村 | 稲橋村 | 昭和15年5月10日 合併 稲武町 |
平成15年10月1日 所属変更 東加茂郡 (東加茂郡稲武町) | |||||
夏焼村 | |||||||||||
中当村 | |||||||||||
野入村 | |||||||||||
大野瀬村 | |||||||||||
押山村 | |||||||||||
武節町村 | 北設楽郡 武節村 |
武節村 | 武節村 | ||||||||
桑原村 | |||||||||||
御所貝津村 | |||||||||||
川手村 | |||||||||||
黒田村 | |||||||||||
小田木村 | |||||||||||
東 加 茂 郡 |
富永村 | ||||||||||
東蘭村 | 下山村 | 下山村 | 明治39年5月1日 合併 下山村 |
下山村 | 下山村 | 下山村 | |||||
和合村 | |||||||||||
荻島村 | |||||||||||
神殿村 | |||||||||||
平瀬村 | |||||||||||
田平沢村 | |||||||||||
栃立村 | |||||||||||
黒岩村 | |||||||||||
梶村 | |||||||||||
黒坂村 | |||||||||||
大桑村 | |||||||||||
芦原子村 | |||||||||||
小松野村 | |||||||||||
東大沼村 | 大沼村 | 大沼村 | |||||||||
花園村 | 花沢村 | ||||||||||
柵沢村 | |||||||||||
槙ケ田和村 | |||||||||||
長峯村 | |||||||||||
切二木村 | |||||||||||
高野村 | 富義村 | 富義村 | |||||||||
野原村 | |||||||||||
阿蔵村 | 阿蔵村 | ||||||||||
保殿村 | |||||||||||
梨野村 | |||||||||||
宇連野村 | |||||||||||
吉平村 | |||||||||||
大林村 | |||||||||||
立岩村 | |||||||||||
羽布村 | |||||||||||
額 田 郡 |
上田代村 | 田折村 | 下山村 (一部) |
下山村 (一部) |
下山村 (一部) |
昭和31年9月30日 東加茂郡下山村 に編入 | |||||
折地村 | |||||||||||
田代村 | |||||||||||
蕪木村 | |||||||||||
蘭村 | |||||||||||
碧 海 郡 |
上中島村 | 畝部村 | 畝部村 | 明治39年5月1日 合併 上郷村 |
上郷村 | 昭和36年4月1日 町制 上郷町 |
昭和39年3月1日 豊田市に編入 |
豊田市 | |||
阿弥陀堂村 | |||||||||||
川端村 | |||||||||||
中切村 | |||||||||||
配津村 | |||||||||||
国江村 | |||||||||||
宗定村 | |||||||||||
馬場村 | 枡塚村 | 枡塚村 | 枡塚村 | ||||||||
粟寺村 | |||||||||||
隣松寺村 | 寿恵野村 | 寿恵野村 | |||||||||
渡刈村 | |||||||||||
永覚新郷 | |||||||||||
鴛鴨村 | |||||||||||
上野村 | 上野村 | 上野村 | |||||||||
和会村 | 和会村 | 和会村 | |||||||||
福受新郷 | |||||||||||
広畔新郷 | |||||||||||
若林村 | 若園村 | 若園村 | 明治39年5月1日 合併 高岡村 |
昭和31年5月1日 町制 高岡町 |
昭和40年9月1日 豊田市に編入 | ||||||
花園村 | |||||||||||
吉原村 | |||||||||||
駒場村 | 駒場村 | 駒場村 | |||||||||
中田村 | |||||||||||
竹村 | 竹村 | 竹村 | |||||||||
大林村 | |||||||||||
西田新郷 | |||||||||||
堤村 | 堤村 | 堤村 | |||||||||
乙尾村 |
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 渡辺釟吉 | 1951年3月1日 | 1955年4月29日 | 1946年準公選により挙母町長に当選[21]。 1947年決選投票により公選町長初当選[22]。 1951年3月1日に市制施行し、挙母市誕生。 同年4月23日、任期満了に伴う市長選で当選[23]。 |
2代 | 中村寿一 | 1955年4月30日 | 1956年1月6日 | 1929年~1946年挙母町長。任期中に死去。 |
3代 | 長坂貞一 | 1956年2月19日 | 1964年2月18日 | 1959年1月1日に市名を豊田市に変更。 |
4代 | 佐藤保 | 1964年2月19日 | 1976年2月18日 | |
5代 | 西山孝 | 1976年2月19日 | 1988年2月18日 | |
6代 | 加藤正一 | 1988年2月19日 | 2000年2月18日 | |
7代 | 鈴木公平 | 2000年2月19日 | 2012年2月18日 | |
8代 | 太田稔彦 | 2012年2月19日 | 現職 |
2019年度(平成31年度)当初予算案[24]
会計名 | 予算額 | 前年度対比 |
---|---|---|
一般会計 | 1,843億円 | 2.2%増 |
特別会計 | 725億 | 312万円2.0%増 |
企業会計 | 344億9,337万円 | 7.7%減 |
全会計 | 2,912億9,650万円 | 0.9%増 |
2023年(令和5年)4月時点では、中核市の中で2005年(平成17年)に旧市民歌が新設合併で失効したままの富山市と共に市歌やそれに準じた市民愛唱歌、イメージソング等を作成していない。挙母市の時代に市歌制定委員会が立ち上げられ、西條八十の選定で「挙母音頭」「挙母小唄」を、また豊田市への改称後には服部龍太郎の選定で「豊田音頭」「豊田小唄」をご当地ソングとしてそれぞれ作成したが、豊田加茂合併協議会では合併後の市歌制定に関する取り決め等は行われなかった。
(太字はゆうゆう窓口設置郵便局を示す。)
2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[28]。
2015年度は80戸で梨を生産しており[29]、主に猿投地区で桃や梨の栽培が盛んである。特に梨の『愛宕』は県内一の生産量を誇る。愛宕は、世界一重いナシとして2011年にギネス世界記録に認定された。高岡・上郷地区の52戸の農家で茶が栽培されており、生産量のうち抹茶の原料になる「てん茶」が9割を占めている[要出典]。 2015年(平成27年)2月1日現在、経営耕地2,447ヘクタールのうち、田が1,854ヘクタール、畑が354ヘクタール、樹園地が239ヘクタールである[30]。
など[31]
北東部(旧足助町・稲武町)で杉や檜などの木材の加工・生産が盛んである。しかし年々、林家数は減少している。
明治から大正にかけて、養蚕やガラ紡による繊維産業が発達し、特に松平地区では、巴川の支流などの急流を利用した水車ガラ紡が発達した。戦後になって、生糸の需要の減少とともに、挙母町の繊維業は衰退していった。
その後、トヨタ自動車の工場の完成とともに、自動車産業を中心とした製造業が発達した。現在、市内には、トヨタ自動車の関連企業が数多く立地している。
なお、製造業が盛んな関係で、市内には南米系(特にブラジル系)を中心とする外国籍住民が多く在住し、工場などで働いている。外国人登録数で15,220人(2006年12月31日時点)[要出典]が暮らしている。なかでも旧市北部の保見団地は全住民のおよそ45パーセントが外国人という日本屈指の外国人居住地である[要出典]。
2017年6月1日工業統計調査に基づく豊田市の公表資料では、市内には従業員300人以上の工場が50ある。
トヨタ自動車関連企業の従業員向けに、いわゆるトヨタカレンダーで営業する個人商店も多い。中心市街地は豊田市駅・新豊田駅周辺であり、近年では複合型商業施設などの再開発が行われている。
名鉄豊田市駅周辺には長崎屋豊田店、豊田そごう(後の松坂屋豊田店)、豊田サティ、ギャラリエアピタ豊田店が過去には存在したが相次いで閉店になった。2015年8月にはイオン豊田店が店舗の老朽化に伴い閉店したが、取り壊し・建て替えの上、2017年9月7日にイオンスタイル豊田として開店した。
トヨタ自動車の企業城下町ということもあり自家用車の利用比率はかなり高い[要出典]。そのため、バス路線の廃止や交通空白地域への対策としてコミュニティバスを導入している。近年では、公共交通機関の通勤利用をトヨタ自動車をはじめとして企業ぐるみで推進している。
市内の鉄道路線は概ね南北に通っており、東西に通る路線は名鉄豊田線・リニモなどごく一部のみである。路線は西部の一部地域に偏っており東部には全く存在しない。 国鉄→JR線であった岡多線も、1988年(昭和63年)に愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線に転換され、JRの鉄道路線・駅は存在しない。
名古屋駅に出るには、名鉄知立駅・名古屋市営地下鉄伏見駅・丸の内駅・愛知環状鉄道高蔵寺駅・中岡崎駅・岡崎駅・リニモ藤が丘駅などで1回は乗り換えが必要となる。市内を通る全部の電車が普通電車(各駅停車)であり、必ず乗換が必要なので、バスの利用も多い。新幹線では駐車場の便も考慮して三河安城駅の利用が多くなる。
中部国際空港(セントレア)へ鉄道で行くには、豊田市駅から名鉄電車で行けるが、知立駅と神宮前駅で乗り換える必要がある。さらに神宮前駅から中部空港までノンストップで行く場合は、ミュースカイに乗るためμチケット(特別車両券)が必要で、360円が別途かかる[注釈 4]。したがって当市から空港に赴く際には、バスや車の利用が多くなる。
なお、名鉄・リニモ・愛知環状鉄道のいずれも、manaca・TOICAと相互利用できる各種IC乗車カードの利用が可能である。
将来的に名鉄は三河線の知立 - 豊田市間を複線化を目指し2027年までには名鉄名古屋 - 豊田市間に特急を運行させ、現行の60分から約40分に短縮する計画を立てている。知立駅の高架事業と複線化工事を負担する経費が知立市の財政的に負担となっているため、現段階では豊田市内の区間は複線化される一方で知立市内は一部単線となる構想である。
鉄道のない地域や駅から遠く離れた地区が多いため、合併前の旧市域を中心に多くのバス路線が設定されている。以前は市内から栄や名古屋駅(名鉄バスセンター)などの名古屋市内へ乗り換えなしで名鉄線・地下鉄より安く行ける都市間高速バスが存在したが2020年3月限りで廃止となっている。
中部国際空港(セントレア)への直行バスも存在し、名鉄バスが運行している。
近年、新東名高速道路や東海環状自動車道の整備が進み、県内有数の交通の拠点になりつつある。
自動車のナンバープレートは、以前は「三河」ナンバーが使われていた。豊田市では、2005年(平成17年)5月には愛知県から国土交通省へ要望として提出された。7月28日に「ご当地ナンバー」を導入推進する地域として、愛知県では「岡崎」「一宮」と共に選ばれた。実際に「豊田」ナンバーが導入されたのは2006年(平成18年)10月10日である。なお、このナンバーが適用されるのは豊田市内のみとなる。
旭地区には、樹齢1000年を超える県下最大の貞観杉がある。
稲武地区にある、天竜奥三河国定公園の保護地区に指定されている面ノ木原生林では、樹齢300年近くのブナの原生林が広がり、冬になると樹氷を見ることが出来る。
2018年3月現在、都市公園は184か所あり、市民1人あたりの面積は10.96平方メートルである。
鮎などの川魚をつかみどりでき、夏の風物詩として多くの観光客でにぎわう。
名称 | 競技種目 | 所属リーグ | 本拠地 | 運営会社・団体 | 設立 |
---|---|---|---|---|---|
トヨタヴェルブリッツ | ラグビー | ジャパンラグビーリーグワン | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1941年 |
トヨタ自動車サンホークス | バレーボール | Vリーグ・V2リーグ | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1946年 |
トヨタ自動車レッドクルーザーズ | 野球 | JABA(社会人野球) | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1947年 |
トヨタ自動車グリフィンズ | ハンドボール | JHL | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1970年 |
キリックス豊田ブルファイターズ | アメリカンフットボール | Xリーグ・X2リーグ | 豊田市運動公園 | キリックスグループ | 1974年 |
豊田通商ブルーウィング | ラグビー | トップウェスト | 藤岡グラウンド | 豊田通商 | 1980年 |
名古屋グランパスエイト | サッカー | Jリーグ・J1リーグ | パロマ瑞穂スタジアム 豊田スタジアム |
名古屋グランパスエイト | 1991年 |
シーホース三河 | バスケットボール | Bリーグ・B1リーグ | ウィングアリーナ刈谷 スカイホール豊田 |
シーホース三河 | 1947年 |
名称 | 競技種目 | 所属リーグ | 本拠地 | 運営会社・団体 | 設立 |
---|---|---|---|---|---|
トヨタレッドテリアーズ | ソフトボール | JDリーグ | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1948年 |
トヨタ自動車ヴァルキューレ | バレーボール | Vリーグ・V2リーグ | トヨタスポーツセンター | トヨタ自動車 | 1950年 |
五十音順に各項目で記載。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.