承香殿平安御所の七殿五舎の一つ / ウィキペディア フリーな encyclopedia 承香殿(じょうきょうでん/しょうきょうでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。七殿の中では弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ、女御などが居住し、また醍醐天皇の時代に古今集が編纂された。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2011年3月) 平安京内裏図 平安京内裏 承香殿跡碑京都市上京区東神明町。 内裏の南辺に位置し、仁寿殿の北、清涼殿の北東。中央を馬道が通り、身舎を東西に二分していた。 承香殿を賜っていたのが知られるのは、以下の后妃である。 村上天皇女御・徽子女王(重明親王女。通称「斎宮女御」) 宇多天皇女御・藤原胤子(藤原高藤女) 醍醐天皇女御・源和子(光孝天皇皇女) 円融天皇女御・尊子内親王(火の宮、冷泉天皇皇女) 一条天皇女御・藤原元子(藤原顕光女) 後三条天皇女御・藤原昭子(藤原頼宗女) 白河天皇女御・藤原道子(藤原能長女) 後白河天皇中宮・藤原忻子(藤原公能女)
承香殿(じょうきょうでん/しょうきょうでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。七殿の中では弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ、女御などが居住し、また醍醐天皇の時代に古今集が編纂された。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2011年3月) 平安京内裏図 平安京内裏 承香殿跡碑京都市上京区東神明町。 内裏の南辺に位置し、仁寿殿の北、清涼殿の北東。中央を馬道が通り、身舎を東西に二分していた。 承香殿を賜っていたのが知られるのは、以下の后妃である。 村上天皇女御・徽子女王(重明親王女。通称「斎宮女御」) 宇多天皇女御・藤原胤子(藤原高藤女) 醍醐天皇女御・源和子(光孝天皇皇女) 円融天皇女御・尊子内親王(火の宮、冷泉天皇皇女) 一条天皇女御・藤原元子(藤原顕光女) 後三条天皇女御・藤原昭子(藤原頼宗女) 白河天皇女御・藤原道子(藤原能長女) 後白河天皇中宮・藤原忻子(藤原公能女)