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情報教育(じょうほうきょういく)の記事では、日本における、情報学ないしその周辺[1]についての、主に「普通教育」との関連について述べる。文科省(ないし旧・文部省)が、児童生徒の「情報活用能力」の育成を図る教育[2]とか、教育の質の向上を目指して推進する「教育の情報化」[3]の3つの柱(情報教育、教科指導におけるICT活用、校務の情報化)の1つ、と述べているように、以前は、主に教員の確保などの点で不可能だと考えられた「コンピュータについて真正面から教える」ことの代替としての施策、という側面が強かった。また21世紀はこれに加えてインターネットでの「モラル」が重視されつつある。近年の、教科「情報」については「情報 (教科) 」の記事を参照。
この節で述べる専門教育についての内容は、基本的に以下の節とは無関係である。日本における普通教育への「情報」の取り込みは(現場での接点はあっても)コンピュータ科学など専門教育との接点は極めて薄いまま進められた。
情報学やコンピュータ科学に関連する学術的な内容は、コンピュータ登場以前には、数学・論理学・物理学・電子工学・図書館学などといった分野に散在していた。1930年代には海外や日本で[4]コンピュータの実現の基礎になった研究があり、世界大戦によるエレクトロニクスの進歩と基礎研究の途絶を挟んで、戦後には一斉にコンピュータの実現が進んだ。1950年代にはコンピュータの建造自体を研究対象として、日本でも建造されたコンピュータのうちのいくつかは大学の研究室によるものだった。1960年代に入るとメインフレームが大企業によって商業的に生産されるようになり、大学に「計算機センター」を設置して共用施設としての活用が進み、物理学の計算などが活発化する一方で、情報工学科の設置は1970年代以降になるなど専門教育の時点でも日本は後手に回っている。図書館情報学との関連で慶應の「図書館・情報学科」が比較的早く1968年である。1970年代以降は、多くの大学に情報工学科が設置されるなど、専門教育は本格化した。1980年代前半には広い範囲をカバーした叢書、岩波講座「情報科学」が出ている。
一方で1970年代には、コンピュータはまだ市民に一般的なものではなく、まず電卓の普及が先行した。電卓は、数の扱いについて適切な指導のもとに使えば良い教材ではあったのだが[5]そもそもその指導者が学校現場にはいないといったことや、そろばん関係者による「そろばんは頭を良くする」といった主張のように現場からの敵視も強く、むしろそういった新規技術の排除のほうが見られることもあった。結果として、電卓からの派生から始まったマイクロプロセッサによる、1980年代以降のパーソナルコンピュータの普及によって、教育現場にまずコンピュータ支援教育(CAI)といった形でコンピュータが現れた後、(情報学の初歩を導入するというような主体的な態度というよりは)「情報化社会に対応する」であるとか「情報活用能力を育成する」ものとして、教育についての検討が進められた。
(昭和60年=1985年)
現在の「教育の情報化に関する手引」につながる初めての手引き書。長年にわたって関係者に広く読まれた [6]。
平成8年7月の「あり方について」に始まる、中等教育中期以降の教科「情報」関係については「情報 (教科) 」の記事を参照。
普通教育における情報教育の「体系化」の始まり
現在の「教育の情報化に関する手引」につながる手引き書 [6]。 「情報化の影の部分」に触れ、情報モラル育成の必要性について示された。
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現在、広く読まれる手引き書[2]。 情報教育が、「教育の情報化」の3つの柱の1つであることが明示された。
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