豊川市西部に位置し、東は平尾町・国府町、西は御津町金野、南は国府町・御津町豊沢、北は赤坂町、北東は萩町に接する。
国道1号や県道368号、374号が通るほか、いわゆる姫街道の涯でもある。国道1号沿線にはロードサイド店舗が多い。豊川市西部地域を流れる音羽川は、御油町内では桜の名所となっている[4]。
- 青木前(あおきまえ)
- 青戸(あおと)
- 池下(いけした)
- 池田(いけだ)
- 一の谷(いちのたに)
- 一の谷山(いちのたにさん)
- 一ノ坪(いちのつぼ)
- 一ノ橋(いちのはし)
- 一町田(いっちょうでん)
- 一本木(いっぽんぎ)
- 井ノ口(いのくち)
- 上ノ山(うえのやま)
- 上ノ山下(うえのやました)
- 後田(うしろだ)
- 姥山(うばやま)
- 大下河原(おおしもがはら)
- 欠下(かけした)
- 上河原(かみがはら)
- 河田(かわだ)
- 河原畑(かわらばた)
- 北沢(きたざわ)
- 木ノ下(きのした)
- 行力(ぎょうりき)
- 下り沢(くだりさわ)
- 汲ヶ谷(くみがだに)
- 栗木山(くりぎやま)
- 古御堂(こみどう)
- 米野(こめの)
- 小山(こやま)
- 今斉(こんさい)
- 五反(ごたん)
- 堺畑(さかいばた)
- 鷺坂(さぎざか)
- 笹原(ささはら)
- 下河原(しもがはら)
- 新丁(しんちょう)
- 膳ノ棚(ぜんのたな)
- 滝ヶ入(たきがいり)
- 筑前ケ谷(ちくぜんがたに)
- 塚原山(つかはらやま)
- 当座山(とうざやま)
- 遠見山(とおみやま)
- 遠見山下(とおみやました)
- 中川原(なかかわら)
- 長谷(ながたに)
- 長谷山(ながたにさん)
- 並松(なみまつ)
- 西井領(にしいりょう)
- 西欠間(にしかけま)
- 西小深田(にしこふかだ)
- 西沢(にしざわ)
- 登り沢(のぼりざわ)
- 野山(のやま)
- 野山下(のやました)
- 橋際(はしきわ)
- 八面(はちめん)
- 八面前(はちめんまえ)
- 八面横(はちめんよこ)
- 東井領(ひがしいりょう)
- 東欠間(ひがしかけま)
- 東小深田(ひがしこふかだ)
- 東沢(ひがしざわ)
- 一重薮(ひとえやぶ)
- 桧沢(ひのきさわ)
- 炮六土(ほうろくど)
- 町裏(まちうら)
- 万福寺(まんぷくじ)
- 美世賜(みよし)
- 向山(むかいやま)
- 山ノ神(やまのかみ)
- 若宮(わかみや)
- 下川原(しもかわら)
2022年(令和4年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
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宝飯郡御油村を前身とする。旧東海道の宿場町御油宿を中心として発展した町である。
年表
- 1601年(慶長6年) - 御油宿が開設される。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、御油村が成立。
- 1892年(明治25年)1月29日 - 町制施行し、御油町となる。
- 1953年(昭和28年) - 愛知県は赤坂町、御油町、長沢村、萩村の2町2村による合併案を提示。この2町2村で宝北自治研究会を設立(翌年11月、宝北町村合併研究会に改称)。
- 1955年(昭和30年) - 御油町では豊川市との合併を望む声が多かったこともあり、御油町は宝北町村合併研究会より脱会。のち赤坂町、長沢村、萩村は1955年4月1日に合併し、音羽町となる。
- 1959年(昭和34年) - 音羽町との合併か豊川市との合併かで住民投票が行われ、豊川市との合併を選択。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 豊川市に編入され、豊川市御油町となって今に至る。
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“音羽川”. 豊川市観光協会. 2023年1月4日閲覧。
“御油神社”. 豊川市観光協会. 2023年1月6日閲覧。
“東林寺”. 豊川市観光協会. 2023年1月6日閲覧。