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日本の政治家、第17~20代公選静岡県知事 (1948-) ウィキペディアから
川勝 平太(かわかつ へいた、1948年〈昭和23年〉8月16日 - )は、日本の経済学者、歴史学者、政治家。
この記事は最新の出来事を扱っています。 |
川勝 平太 かわかつ へいた | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1948年8月16日(76歳) |
出生地 | 日本 大阪府 |
出身校 |
早稲田大学大学院経済学研究科修了 オックスフォード大学大学院修了 |
前職 | 静岡文化芸術大学学長 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
経済学修士(早稲田大学) D.Phil.(オックスフォード大学) |
第17-20代 静岡県知事(公選) | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2009年7月7日 - 2024年5月9日 |
生誕 |
1948年8月16日(76歳) 日本 大阪府 |
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国籍 | 日本 |
研究機関 |
早稲田大学 国際日本文化研究センター 静岡文化芸術大学 |
研究分野 | 比較経済史 |
母校 |
早稲田大学政治経済学部卒業 早稲田大学大学院経済学研究科 |
博士課程 指導教員 | ピーター・マサイアス[1] |
他の指導教員 | 正田健一郎 |
影響を 受けた人物 | ピーター・マサイアス、今西錦司、梅棹忠夫 |
影響を 与えた人物 |
小渕恵三 石川嘉延 |
実績 |
「文明の海洋史観」の提唱 「富国有徳」の提唱 |
受賞 |
国際交流基金 十周年記念論文賞(1983年) アジア・太平洋賞 特別賞 (1996年) 読売論壇賞(1998年) 南十字国家勲章コメンダドール位(2016年) |
早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター副所長、財団法人総合研究開発機構理事、静岡文化芸術大学学長(第2代)、学校法人静岡文化芸術大学理事長(第2代)、静岡県知事(公選第17・18・19・20代)を歴任した。
大阪府で生まれ[2]、京都府京都市で育つ[2]。1997年以降長野県北佐久郡軽井沢町に自宅があるが[3][4]、静岡県知事就任後は基本的に静岡市葵区にある知事公舎に入居している[5]。
経済学者であり専攻は比較経済史で、研究内容としては英国議会資料の分析などが挙げられる。早稲田大学で助手、講師、助教授、教授、国際日本文化研究センターで教授、副所長、財団法人総合研究開発機構理事などを歴任した。元静岡県知事の石川嘉延に「富国有徳」との県のスローガンを提案するなどブレーンとして活動した。このため、知事への立候補の際には地元の京都府知事ではなく静岡県で知事を務めることになる(後述)[注 1]。
後に、石川からの要請を受け、静岡文化芸術大学の学長に就任した[2]。
その後、石川の辞任を受け、いったんは立候補を否定したものの、2009年6月5日に静岡県知事選挙への出馬を表明した。公職としては、小渕内閣に設置された「21世紀日本の構想」懇談会[6]、第1次安倍内閣に設置された教育再生会議[7]と「美しい国づくり」企画会議[8]に於いて委員を務め、国土交通省では国土審議会の委員を務めた。京都市社会教育委員会委員、東京都大学運営諮問会議新大学の教育研究に関する検討会委員にも就任した。
京都府出身[9]。石油や石炭、セメントの販売を営む三光商店(後の三光商事)代表取締役を務めた川勝弘の長男として生まれる[10][11][12]。母は同じく三光商店社長を務めた中島真治の長女[10][13]。高校は京都市内の洛星高等学校に通い、卒業した[14]。当時の同級生には、建築家の六鹿正治、医学者の竹中洋と市田隆文、経済学者の杉村芳美、法学者の嶋津格らがいる[14]。早稲田大学政治経済学部経済学科に進学[9]。1972年3月に同学を卒業すると、早稲田大学大学院経済学研究科に進学[9]。1975年3月、同院における修士課程を修了[9]。大学時代の指導教授は正田健一郎である[15]。その後、同大学の大学院博士課程在学中に、イギリスに渡り、1977年から1981年までオックスフォード大学ウルフソン・カレッジで、ピーター・マサイアス(英語: Peter Mathias)の指導を受けた[16]。1985年10月、オックスフォード大学で博士号を得た[9][17]。
早稲田大学の政治経済学部助手、講師、助教授を経て、1990年4月に教授に昇任した[9]。1998年4月、国際日本文化研究センター教授に就任した[9]。
その後、2007年4月に静岡文化芸術大学学長に就任した[9]。学校法人静岡文化芸術大学理事長は静岡県知事石川嘉延であり、石川の誘いを受けて学長に就いた。その後、理想の学校教育具現化委員会などで石川県政を支え、静岡県学術教育政策顧問の廣部雅昭と共に石川のブレーンとして活動した。
2009年5月、自由民主党と民主党に所属する静岡県議会議員、日本労働組合総連合会静岡県連合会、民主党代表代行小沢一郎らから、同年7月の静岡県知事選挙への出馬要請を受け[18]、自由民主党・民主党の相乗り候補者として名前が挙がった[19]。静岡県知事選挙への立候補が取り沙汰されると、川勝は「私の身は理事長(石川嘉延知事)に預けてある。理事長が『やれ』と言うならノーとは言わないが、99.99%ないと思う」[20]と述べて立候補を否定していた。超党派の議員らから立候補を要請されても、川勝は「身を理事長(石川嘉延知事)に預けている」[21]との理由から、これを固辞していた。自由民主党の静岡県議会議員らは、当初は川勝の擁立を目指したものの、最終的には離脱した。
その後、出馬・不出馬に関する発言を二転三転しつつも[22][注 2]、最終的に民主党、社会民主党、国民新党の推薦で同選挙への立候補を表明した。立候補表明直前に学校法人理事会に対し辞表を提出し、受理された[24]。退任後の2010年11月、静岡文化芸術大学の名誉教授となった[25]。
選挙戦は自由民主党と公明党が推薦した元参議院議員の坂本由紀子との激しい戦いとなった。民主党は、元参議院議員の海野徹と川勝の候補一本化を目指したものの不調に終わり、分裂選挙となった。鳩山由紀夫、岡田克也、菅直人など民主党幹部も連日応援に駆けつけた結果、坂本を15,000票差で破り初当選した。 ※当日有権者数:3,037,911人 最終投票率:61.06%(前回比:16.57pts)
2009年7月7日、静岡県選挙管理委員会の告示を経て、静岡県知事に就任[26][27]。知事の任期は、選挙の投開票が行われた7月5日から4年間となる[27]。
2013年6月16日に投開票が行われた知事選挙ではスポーツコンサルタントの広瀬一郎らを破り再選。 ※当日有権者数:3,026,955人 最終投票率:49.49%(前回比:11.57pts)
2017年6月25日に投開票が行われた知事選挙ではバルセロナオリンピック柔道銀メダリストの溝口紀子を破り、3選した[28]。 ※当日有権者数:3,060,965人 最終投票率:46.44%(前回比:3.05pts)
2021年6月20日に投開票が行われた知事選挙で、前参議院議員の岩井茂樹を破り4選[29][30]。 ※当日有権者数:3,014,952人 最終投票率:52.93%(前回比:6.49pts)
知事在職中に数々の物議を醸す失言や行動が続いた(下記)、2021年、自民改革会議と公明党県議団は知事を失職させる知事不信任決議案の提出を検討した。しかし決議には前議員の3/4の賛成が必要であり、知事を支持する立憲民主党議員らからなるふじのくに県民クラブが反対したために決議に至らなかった[31]。そのため知事の給与減額条例および拘束力のない辞職勧告決議が可決されるにとどまり、川勝は知事続投を宣言した。その後も問題発言や問題行動が続いたが、区切りがついたとして、2024年4月に知事辞任の表明を行った(後述)。当初は6月の県議会開会のタイミングで辞職することを明言していたが、早期の辞職を要求する意見が高まったこともあり、予定を前倒しして同年4月10日に中沢公彦県議会議長に辞職願を提出した。これにより同年5月9日付で知事を退職する事となった[32]。なお、5月10日以降、次期知事が就任するまでは知事職務代理者として副知事の森貴志が職務を代理する[33]。
川勝家は代々農業を営み、南桑田郡(現・亀岡市)で有数の大地主として知られた[34]。六世祖父・光従、五世祖父・平太夫の2代にわたって庄屋を営み、特に六世祖父の在職中には天保の大飢饉に遭遇し、幾多の困難を冒して郷土のために奮闘した[34]。墓所は亀岡市旭町の川勝家墓地にあり、同地の臨済宗大雲寺を菩提寺とする[34]。
中央新幹線の工事を巡って、大井川の水量減少対策が示されていないとして、着工の許可を認めなかった。川勝自身は「リニア賛成」、「リニア推進派」であることを幾度も自称しているが[53]、JR東海から対策を示されても頑なに応じないため、川勝に対して「リニアを妨害している」という批判が少なくなかった[54]。2024年3月、JR東海が川勝による静岡区間の事業不認可のために2027年までの開業を延期すると発表すると、「リニアの開業時期が延期され、自分の責任は果たした」として任期途中での知事辞任を発表した。川勝から直接辞任の経緯の説明を受けた議会議長の中沢公彦は、「(JR東海への)嫌がらせが成就したので私の役目は終わったという感じだった。」と述べた[55]。
川勝は自著『富国有徳論』などの中で「富国有徳」の概念を提唱している。
「富国有徳」について静岡県発行の「ふじのくに「有徳の人」づくり大綱ー誰一人取り残さない教育の実現に向けてー」において川勝はこう説明している[60]。
(前略)「富国有徳」は、霊峰・富士の字義を体し、「富(豊富な物産)」は「士(有徳の人材)」に支えられ、「富」は「士」のために用いる、「徳のある、豊かで、自立した」地域をつくり、富士山の姿に恥じない理想郷を目指すものです。 “ふじのくに”づくりの礎は“人”であり、霊峰・富士の姿のように、気品をたたえ、調和した人格を持つ「士」すなわち「有徳の人」の育成が“ふじのくに”の教育理念です。 — 川勝平太、ふじのくに「有徳の人」づくり大綱ー誰一人取り残さない教育の実現に向けてー
まだ同書においてこの考え方はSDGsの考えと合致するとも述べている[60]。
第84代内閣総理大臣の小渕恵三は、意味は分からないもののこのことばに感銘を受け、自らのモットーの一つとして「富国有徳」を挙げていた[61]。施政方針演説の中で「富国有徳」について触れており[62]、この理念の下で教育立国と科学技術創造立国を実現すると主張した[63]。首相就任後、小渕は「21世紀日本の構想」懇談会を設置し、その委員に川勝を選任した[6]。川勝は第四分科会にて座長を務め、懇談会のまとめた報告書に「富国有徳」の概念を盛り込んだ[64]。
第49 - 52代静岡県知事の石川嘉延も「富国有徳」の思想に賛同した一人であり、静岡県の県政のキャッチコピーとして「富国有徳――しずおかの挑戦」を掲げた。石川は学校法人静岡文化芸術大学理事長を兼任していたが、学長だった木村尚三郎が死去すると、石川は後任の学長として川勝を招聘した。その後、川勝は静岡県が設置した「理想の学校教育具現化委員会」にて委員を務めるなど[65]、石川県政のブレーンの1人として活躍した。石川の後継者を決める静岡県知事選挙への立候補に際し、川勝は「石川知事が私の言葉を引用してくださったのも、ここ静岡県に“理想の日本”を創る、という私の使命感につながる」[66]と語っている。
イラクへの自衛隊派遣には賛成したが、その復興を巡っては、「憲法で自衛隊は武力は使わないことになっている。実質的に紛争地域であるイラクで万が一、自衛隊が戦闘行為に及ぶことがあった場合は、即座に撤退すべき」「国際紛争を武力で解決しないという憲法9条の精神は、不戦条約や国連憲章と響きあう普遍性をもつ。憲法が施行されたとき、日本は国際紛争を処理する国力を備えていなかった。その後、経済力、文化力をつけ、アジアの西端を視野に入れるところまできた。憲法の理念を、世界に対し具体的な形にする必要がある。ただ、そのための政治力は乏しい。イラク復興を含む中東問題の根っこにパレスチナ紛争があることは、ゆめゆめ忘れてはならない」と語った[67][68]。
2018年1月に川勝が作成した憲法改正私案の存在が報じられた。この私案は、富士山は日本国土統合の象徴であるとする条文を新たに憲法9条として制定し、従来の9条は10条に移行したうえで「国民と国土の平和と安全の維持に必要最小限の武力を保持する」として自衛隊の存在を明記したものであった[69]。
川勝は「日本最強内閣」としての閣僚には誰が最適かとするアンケートにて、内閣総理大臣に櫻井よしこ、外務大臣に曽野綾子、厚生労働大臣に中村桂子、内閣官房長官に中山恭子、の4人の女性の名を挙げている[70]。その他の閣僚としては、総務大臣に丹羽宇一郎、財務大臣に堺屋太一、文部科学大臣に寺田典城、農林水産大臣に竹中平蔵、防衛大臣に山折哲雄を列挙し[70]、無任所の行政改革担当大臣には渡辺喜美を挙げている[71]。川勝は、櫻井について「憂国の士」[70]であると指摘したうえで「美しい大和撫子」[70]と評しており、それを理由に内閣総理大臣に選出したと説明している。
1996年12月2日、藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのりらは「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見を開催。中学校社会科教科書からの従軍慰安婦の記述削除を求めた[72]。会見時の呼びかけ人は9人、賛同者は78人。川勝は賛同者に名を連ねた[注 3]。
1997年6月30日に行われた「つくる会」の第2回シンポジウムに、藤岡、小林、伊藤隆らとともにパネリストとして参加[74]。
2005年2月時点の「つくる会」の公式サイト[75]や2009年県知事選での産経新聞の報道[76]でも「つくる会」の賛同者であると紹介されていたが、2009年7月8日の知事就任記者会見において「賛同者なのか」との質問に対して「もう違います。ああいった方々とは一線も二線も画しております」と答えた[77]。さらに川勝は記者に対して「まず誤解を解かなければいけません。新しい歴史教科書をつくる会ですか。一度もメンバーになっておりません。あれは最初会長になった西尾幹二という方が電話をかけてこられて、歴史教科書についてどう思うか、私の観点では日本史と東洋史と西洋史が分けられているのがおかしいと、そしてそれが選択科目になっているのがおかしいと、そういう観点での歴史教科書についての疑問があったので、教科書を見直すというのであればいいと、ところが御承知のように蓋を開けたところ特定の問題について必ずしも歴史家でない人たちが自らイデオロギーを論じる場になっていたので、一度もメンバーになっていません。それが誤解されてですね、あなたは中日新聞ですか、朝日新聞でも、教育再生会議の委員になったときに最初の版で、私がメンバーであるとお書きになって、それは調べてみたら違ったと、それで外されました。ですから私はメンバーではありません」と答えた[77]。
2021年10月23日、参議院静岡県選挙区補欠選挙に出馬した山﨑真之輔(浜松市中区出身)への応援演説を浜松市で行った際、対抗候補の若林洋平が前御殿場市長であることから、御殿場市と浜松市とを比較して下記の発言をした[87][88]。
(前略)
こちら、食材の数でも439ある静岡県の食材のうち3分の2以上がここにある。あちらはコシヒカリしかない。だから飯だけ食って、それで農業だと思っている。
(中略)
浜松、遠州、その中心、ここ、経済はここが引っ張ってきた。あちらは観光しかありません。それしか知らない人間、そんな人間がですね、静岡県全体の参議院議員になってどうするんですか。ダメです。
(後略) — 川勝平太、“川勝知事演説全文 御殿場「コシヒカリしかない」発言”. 静岡新聞. (2021年11月11日). オリジナルの2021年11月12日時点におけるアーカイブ。 2021年11月25日閲覧。
11月9日、支持政党である県議会第2会派・少数与党「ふじのくに県民クラブ」に催促されて行った記者会見で、「御殿場に対して何か批判めいたことを言ったというようにお受け取りになったのは、それは誤解であるということを明確に申し上げる」と主張し謝罪はしなかった。このため、苦情が殺到するなど火に油を注ぐことになった[89][90][91]。
これに対して、県政与党を除く最大会派の自民党全40名・第三会派の公明党全5名・無所属議員ら計49名の県議から抗議文が提出された[92]。抗議文になった理由として、自民改革会議などが不信任決議案を提出した場合、賛同した49人の賛成だけでは、静岡県議全67人が出席した場合の可決条件である4分の3以上(51人以上)に不足していることが背景にある。静岡県自民党会派の野崎正蔵代表は、川勝の会見後に「余計火を消すどころか、火に油を注ぐような会見だったような気もしますけれども。多くの県民からしっかりとしたけじめをとっていただきたいという声も我々の所に届いておりますので、そうした声に応えられるような行動を取って行きたい」とコメントした[93]。勝又正美御殿場市長は「謝罪という会見ではなくて、この内容からいきますと御殿場市民の心を傷つけた気持ちというのはとても消えない」と非難している[93]。記者会見を終えた川勝は、ふじのくに県民クラブとの会談にて「(ふじのくに県民クラブから)記者会見を持つべきだとのアドバイスをいただき、早速、実行しました。いいアドバイスはすぐに…。善は急げです」と述べたため、ふじのくに県民クラブ会長の佐野議員は面会後、記者団に「謝罪の会見をお願いしたつもりだったが、謝罪にはなっていなかった。『誤解を与えた。申し訳ない』と発言してほしかった」と不満を表明した[93]。自身が応援していた山﨑が長年不倫をしていた問題が週刊誌で報じられたことについて、川勝は「まことに残念至極であります。もう応援することはありません」と述べた。
11月10日、川勝は臨時会見で「誤解だ」と強調したことで「会見を見たが全く謝罪になっていない」「誤解とはどういう意味なのか」と批判が更に殺到したため、御殿場市役所を訪れて勝又市長に面会して問題の発言を撤回・謝罪し、再度会見を開く意向を示した[94]。
11月24日、上記発言に対して御殿場市民をはじめ、静岡県内でも批判が高まったため、県議会に静岡県政史上初の辞職勧告決議が提出された[95]。採決の結果、議長を除く自民会派の39人と公明会派の5人、無所属の3人の計47人の賛成で可決された。反対したのは、川勝知事を支える「ふじのくに県民クラブ」の17人と共産党1人を含む無所属の2人だった。
辞職勧告決議の可決を受け、川勝は自身の冬のボーナス約315万円と12月分の給与計約440万円の返上を表明したが、返上に必要な条例改正案は12月21日の議会閉会日まで提出されず、結局、全額支給された[96]。
2023年7月3日、条例に基づき知事の去年一年間の所得が公開された。NHK静岡放送局記者の仲田萌重子は給与とボーナスが満額支払われた事を確認し、知事に問い合わせたところ、川勝は秘書課を通じて返上しない意志を示し、NHKはその日のうちにニュースとして報じた[97]。川勝は「熟慮した結果、発言に対するけじめは職責を果たすことだと思い至った」と説明している[98]。しかし、県議会などで「言行不一致」と指摘されたことを受け、同月12日の県議会本会議で給与返納の意向を改めて示した[99]。同日の本会議では自民や公明の議員から川勝に対して「今回の騒動がなければ黙っているつもりだったのか」「危機管理能力が欠けている」などの批判が相次いぎ[100]、自民改革会議から不信任決議案が提出された。13日未明に採決が行われ、賛成50票、反対18票で成立に必要な4分の3以上の賛成(51票)に1票足りず、否決された[101][102]。24日の定例会見では、「今度間違うようなことをして人様に迷惑をかければ辞職する」と述べた[103]。9月21日、12月の給与とボーナスを受け取らず、11月の給与も減額する内容の条例案を県議会に提出した[104]。10月6日、県議会総務委員会が給与減額条例案の採決を行い、原案通り可決した。コシヒカリ発言への非難とともに、二度と同様の事態を起こさないよう知事に猛省を促す附帯決議案が自民改革会議の委員から提出され、全会一致で可決した[105]。13日に本会議でも可決された[106]。
2024年4月1日、静岡県庁で新規採用職員向けの訓示を行った際、次のように述べた。
実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね[107]。
同年4月2日7時20分、読売新聞は訓示の内容を報じる記事を配信。「特定の職業を比較するような発言で、再び物議を醸しそうだ」と書き記した[108]。同日午後、他のメディアも追随。「これはどこをどう捉えても第一次産業や第二次産業を蔑む発言だろう」「職業差別発言と捉えられかねず波紋を広げそうだ」などと報じた[109][110]。
同日17時までに静岡県庁には、「農業や畜産に携わる人々の知性が低いというのか。おごった考えだ」「静岡県はモノづくりを誇っていたのではなかったか」「生産者はイコール納税者だ。それをわかっていないのではないか」などの430件の苦情が[111]、4日までは1400件以上の苦情が殺到した[112]。
同日17時30分、FNNプライムオンラインは、川勝がかつて問題発言を行った際「(メディアに発言を)切り取られた」「切り取りというのが問題」と釈明した前例があるとして、訓示の全文を配信した[107]。
同日夕方、川勝は辞意を表明する直前に、立憲民主党静岡県連顧問の渡辺周に「あなたやってくれますか」と自らの後継打診をした[113]。
同日18時、川勝は記者会見を開き「職業差別は皆無です、ありません。歓迎の言葉、励ましの言葉がこんなことになったというか、何か問題発言かのごとき状況になって本当に驚いている」と発言した[114]。また、同会見での産経新聞との一問一答のやりとりでは、同紙が、県民から「農業・畜産に携わる人の知性が低いということか」との批判の声が上がっていると伝えると、川勝は「それは読売新聞の報道のせいだと思っている」と答えた。産経が反論すると「いや、切り取られたんだと思う」と自説を貫いた[115]。さらに「どうしたらいいのかと思っておりまして、よく考えたんですけれども、準備もありますからね。6月の議会をもって、この職を辞そうと思っております」と発言し、2024年6月で知事の職を辞すことを明らかにした[116][117]。
4月3日、川勝は静岡県議会議長の中沢公彦に対し、県議会6月定例会の開会日である6月19日に辞職することを報告し、中央新幹線の2027年開業断念の発表について、「自分の役割は終わった」と話した。報告を受けた中沢議長は「なんでそれが任期途中で辞めないといけないことにつながるのか、さっぱり意味がわからなかった」と疑問を呈し、「説明の受け止めとしては嫌がらせが成就したので私の役目は終わったという感じだった。辞めるのは職業差別にまつわる不規則発言が理由ではなさそう。どうやらリニアが上手くいかなかったこと(2027年の開業断念)について目途が立った」ためと述べた[118][119]。
同日15時半から川勝は臨時記者会見を開いた[120]。記者会見の冒頭では、「私の新規県庁職員としての励ましの言葉の中に人々の心を傷つけるものがあったということを厳しく受け止めております。…特に、第1次産業、農業、酪農、あるいは水産業、これは最も大事にしてきた産業であり、そういう方たちの心を傷つけたとすれば誠に申し訳なく心からお詫びをいたします」と職業差別ととれる発言について謝罪した[121]。一方で発言については、「不適切だとは思っていなかった」とし、撤回しなかった[122](後に撤回[123])。また、辞意表明の主な理由については、リニア問題が大きな区切りを迎えたこと、不十分なことばづかいにより人の心を傷つけたことを挙げた[121]。発言については、「この言葉の問題で、議会あるいは、マスコミのみなさま方から、あるいは県民のみなさま方からアドバイスを含めてご批判をいただきまして、そしてその都度、以後こういうことがないようにと、努めてまいりましたけれども、再びそうしたことが、思いもかけぬ形で浮上しまして、自ら不徳の致すところと思う次第であります。」と述べつつ、「昨年の東アジア文化都市、これはみなさんとともに苦しみ、喘いだ、コロナの時期を乗り越えて、見事に東アジア文化都市、日本の文化を文化首都として、恥ずかしくない素晴らしい実績が残せました。」「…やはり富士山が2013年からちょうど10年経ったということが、当時の文部科学大臣から言われました。」と2023年東アジア文化都市の開催や、富士山の世界文化遺産登録が10年を迎えたことに触れた[124]。また、「私はこのリニア問題を解決するのは、事業計画を見直す以外にないと、従来から思っておりました。」「ですから、この2~3か月で大きく動いたリニア問題が大きく動いた、ここで仕事は一段落したと。ということで、辞表を提出するということになった理由であります。」とリニア中央新幹線の開業時期が2027年以降へと変更する事業計画の根本的な見直しを辞意表明の理由として述べた[124]。また、任期の途中で辞める理由については、「県議会も私の言動が一因になり政局がらみで動くというのが常態化して、これはなんとか解決したいと思っていた。」と述べ、知事選に再立候補する考えがあるか問われると、「私はもう十分仕事をした。出直し選挙なんてとんでもない。まったく考えていない。」と答えた[125]。ボーナスを受け取るかについては、「そういうことは全く考えていません。自然体でいきたいと思っております。そこまでいられるか分かりませんからね。議会との関わりがありますから」と答えた[126]。
同日、川勝は浜松市内で、長年支援を受けてきたスズキの鈴木修相談役と面会し、辞意を直接伝えた[127]。これに対して鈴木は、「止むを得ない。ご苦労様でした」と伝え、川勝について「上出来だった。ただし失言が少なくなかった」と評した[127]。
3日の会見に対し、川勝が、リニア問題が区切りを迎えたことを理由に辞意を表明したことについて、中央新幹線の開業を遅らせること自体が目的だったのではないか、それが達成されたから辞任するのではないか、という批判の声が挙がった[128]。
4月4日、自民・公明両党会派は川勝に対し、早期辞職と職業差別発言の撤回を申し入れた[129]。また、県議会は6月定例会の開会日を4月10日に確定させる方針を決めた[130]。
4月5日、川勝は「職業差別ととらえられかねないところは削除して撤回する。なりわいの違いを説明したかった」と述べ、職業差別発言を撤回した[131][123]。
同日、立憲民主党の渡辺周衆議院議員は、川勝知事から後継の打診を受けていたとしてテレビ朝日のインタビューに応じて「知事の姿勢=静岡県という評価になっちゃうのは、やっぱりつらいものというか、心痛めるところはある。後継と言っても、別にそのまま受け継ぐわけではないので、主従関係があって指名を受けて、私に従ってやってくれみたいなことじゃないし」「(Q.リニア問題、川勝知事との考え方の違いは?)もう、ここまでできている話を静岡県の我を通していることで(工事が)止まってると言われるのは、県民としても非常に胸を痛めるところがありますから、沿線の方々の不安を払拭することは最低限行いながら、リニアの開通に向けては進めていくべき」と発言し、川勝知事の政治姿勢を引き継がないことを表明した[132][133]。
同月8日、静岡県副知事も務め、元総務官僚の大村慎一が静岡県知事選挙への立候補を表明した。また、浜松市長を務めた鈴木康友も立候補に前向きな姿勢を示し、スズキなど一部の浜松市の財界も本人へ立候補を打診している[134]。
当初、川勝は6月の県議会定例会開会日に県知事を辞職するとしていたが、4月10日に知事辞職願を中沢県議会議長に提出し、5月9日に知事を退任する見通しとなった[135][136]。前述の自民・公明の申し入れなど早期辞職を望む意見が多かった事、また、6月の辞職の場合、退職金に加えて期末手当が満額支給されることから、さらなる世論の批判が起きつつあった[137]。川勝は申し入れを尊重するとともに自身の後任を決める県知事選に関して具体的な候補者名が取り沙汰されるようになったことも背景に、辞職の前倒しに至ったとされる[138]。これにより静岡県選挙管理委員会は、川勝の後任者を決める静岡県知事選挙の日程を2024年5月9日告示、同月26日投開票とすることを決定した[139]。
川勝は辞職願提出後、記者からの問いに「いつでも辞任する用意はありなるべく早く辞めたかった。県政の空白を短くするため、きょう退職届を提出した」と答えている。一方でリニアに関する考えはこの時点でも「推進派に変わりはないし、推進派から外れたこともない」「一生懸命、われわれは南アルプスの自然の保全と水資源の保全の両立を図ろうとしてきた。推進の足を引っ張ったことは一度もない。段取りが見えたのでバトンタッチできると思った」と語った[140][135]。川勝は辞職願を提出する際に報道陣から心境を問われ、細川ガラシヤの辞世の句を引用して、
「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」[32]
と答えた。散り際の重要性を説いた句とされる[32]。
川勝の県知事辞意を受けて、閣僚や周辺自治体の首長などから反応が相次いだが、概ね川勝の以前からの言動や政治姿勢(特に辞職の理由とした、リニア中央新幹線の2027年開業断念を挙げた一件)などを批判する意見が相次いだ。
川勝の記者会見が行われた4月3日、元副知事で静岡市長の難波喬司は職業差別発言に対し、「極めて不適切であり得ないレベルの発言だ」「発言全文を聞くと切り取りも何もない」「発言を適切でないと思わないこと自体にも大きな問題がある」と苦言を呈した[141][142]。
同日、会見直前に川勝と面会した島田市長の染谷絹代は、「昨夜の決断までには長い苦悩があっただろう。決断は尊い。人がとやかく言うことではない。知事の様子はいつもどおりだった。豪快な人柄が出ていた」と述べた[143]。また、川勝の辞任による中央新幹線への影響について「大きな分岐点」「本来あるべき議論に戻るきっかけになればありがたい」と述べた[141]。
中央新幹線長野県駅が設置される長野県飯田市長の佐藤健は、川勝の辞任の発表に対して「中央新幹線着工に向けた最大の不安定要素がクリアされる」と述べ、静岡県とJR東海へ協議・着工のスピードアップを求めた[144]。
大井川の下流に位置する静岡県牧之原市長の杉本基久雄は、4月4日の定例会見で「辞職するのは失言・舌禍が原因」とした上で中央新幹線について「国家プロジェクトであるし、国も3.5兆円の財政投融資をしている中で、それを7年止めたとなると僕は犯罪じゃないかと思う。それくらい大きな問題」と述べ、川勝を批判した[145]。
川勝のコシヒカリ発言で揶揄を受けた御殿場市長の勝又正美は、川勝の辞任を受け「今回の発言は農業や畜産に関わる職種の人を見下す差別的発言と私自身も感じた。コシヒカリ発言で御殿場市民は大きな心の傷を受けたが、あれから、あまり時間はたっていない。コシヒカリ発言と重ね合わせてしまい、がっかりしている」とコメントした[141]。
農林水産大臣の坂本哲志は4月5日の閣議後の会見で「国民の食だけではなく、地域の経済やコミュニティーを支える農業者にとって残念なものであり、農村地域に生まれ育ち、これまで農業の現場における創意工夫を見てきた1人の政治家として憤りを感じます」と述べた[146]。
国土交通大臣の斉藤鉄夫は4月5日の閣議後の会見で「川勝知事の進退を巡る発言や記者会見での1つ1つの発言に政府の立場でコメントすることは差し控えたい」としつつ、「国の有識者会議を通じて事業主体であるJR東海と静岡県をはじめとする関係自治体とのいっそうの対話を促す」とした[146]。
前国土交通大臣の赤羽一嘉は4月3日のX(旧Twitter)のポストで「川勝氏の暴言癖は今に始まったことではない。私が国交相時代、記者会見で、当時の鉄道局長を名指しし、『恥を知れ』『folly(愚か者)、猛省しなければならない』と発言。県民の代表でもある知事が、己の部下でない役人に対し名誉棄損することは非常識の極み。呆れました」と激しく糾弾した[147]。
愛知県知事の大村秀章は4月8日の定例会見で、川勝が辞意を固める要因に挙げた「リニア中央新幹線の2027年の開業断念が大きな区切りになった」発言に触れ「リニア中央新幹線建設促進期成同盟会は一致結束して2027年の東京・名古屋開業、2037年までの大阪までの全線開業を願い活動してきた。その中で、この発言は釈然としないし、違和感を禁じ得ない、大変残念な発言」と苦言を呈したうえで、「2027年の開業を断念させたことが一区切り、一仕事済んだと受け取れる発言は文書(約束)の趣旨と異なり極めて遺憾。開業を断念させて一区切りというのは整合性が取れない。我々をたばかったのか。だいぶ抑えて言っているが、もっと腹立っている」と怒りを露わにした[148]。大村はさらに同月10日の定例会見でも、「静岡工区だけの責任ではなく、そもそも当初の計画が破綻していた」と川勝がリニアについて持論を主張したことについて、「(リニア)推進論者であれば多くの人が納得できるような、専門家・科学者が論拠を持って作った報告書やリポートをもっと尊重すべきだったのではないか。はっきり言ってすべてイチャモンつけていましたよね。みんながそう思っていたと思う」と反論し、さらに「静岡県の協議が進まないから事業が遅れた。それなのに事業計画が『破綻していた』と言うのは『お前言う?』という感じです」と、再び川勝を激しく糾弾した[149][150]。
山梨県甲府市長の樋口雄一も4月9日の定例会見で、川勝が早期の辞職の意向を示したことに「歓迎したい」としたうえで、「(リニア中央新幹線の静岡工区の工事を巡り)静岡の水を守ると言っていたが、水を大事に使う職業の方をおとしめる発言であり、静岡県全体を本当に愛していたのか」と厳しく糾弾した[151]。
三重県知事の一見勝之も4月10日の定例会見で、川勝の辞職に関する論評は差し控えるとしつつ「リニアの早い開業を目指し、(建設促進)期成同盟会に(静岡県も)参加されているので、理解しがたい発言だ」と批判した[152]。
一方で山梨県知事の長崎幸太郎は4月10日の定例会見で、「リニアに関してはいろいろな関係もあるが、トータルでは静岡県と山梨県は緊密に連携をとりながら物事を進めてきた。大変感謝している」と述べ、リニアの静岡工区未着工については、「本質的には静岡県のみなさんの自然環境に対する影響への懸念が払拭しきれていないため」との見解を示したうえで、この心配を解消する必要があり「どなたが知事になってもやるべき話で、これまで以上にアクセルを踏むことで(リニア関連)事業は進展していく」と答えた[153]。
川勝が辞世の句を引用した細川ガラシャの子孫にあたる政治ジャーナリストの細川隆三は、同月14日の『ABEMA的ニュースショー』に出演した際のコメントで、「川勝さんはまったく勘違い甚だしい。使い方が間違ってる。政治家の失言とよく言うが、あれは失言じゃない。信念なんですよ。誰に対して無礼かと言うと、まずは細川ガラシャに対してですよね」「ガラシャというのは、正しいと思ったこと、信念を貫く強い意志を持った女性。夫・忠興との約束を見事に守り抜いたそういう女性ですよ。その時読んだ辞世の句なんです。川勝さんの辞め方、散り時、引き際、どこが美しいんですか。ちっとも美しくない。自分の失言をきっかけにお辞めになっただけの話でしょ」「私は細川家を代表してるわけではありませんが、代わりに私が代弁します。これは(細川家)みんな怒ってる。ガラシャだってそう。あの世できっとビックリしてると思いますよ。『なんで私の辞世の句が、川勝さんの引き合いに出されるのか』。失礼千万です」と怒りを露わにした[154]。
経済学が専門で比較経済史を研究対象としている。早稲田大学大学院経済学研究科の指導教員は正田健一郎[186]で、日本経済史を正田健一郎に、西洋経済史を小松芳喬に学び、オックスフォード大学でイギリス経済史をピーター・マサイアスに学んだ[187]。
梅棹忠夫の「文明の生態史観」を発展させた、独自の「海洋史観」を展開したことで知られる。「英国議会資料」の研究で同僚30余人と共に早稲田大学図書館に2億円余の資料購入を申請するも受け入れられず、大阪の国立民族学博物館が購入したため、早大教授を辞職して京都の国際日本文化研究センターに移籍した[188]。「西太平洋津々浦々連合」を提唱した[189]。
日本の歴史における時代区分に関して、元号による時代区分に異を唱え、政権所在地による時代区分で一貫すべきだとして、明治維新から現在までを「東京時代」と呼ぶことを提唱している[190][191]。
国際日本文化研究センター時代、梅原猛の影響で展開した「文明論」は、テッサ・モリス=スズキらの歴史学者から批判されている[192]。
なお、川勝が留学を終えてから2年後の1983年、浩宮徳仁親王がオックスフォード大学へ留学、マサイアス教授の下で研究を行うことになった時、マサイアスの指導を受けた経験のある日本人が川勝しかいなかったことから、浩宮の「兄弟子」として、マサイアスの研究についての事前レクチャーを行ったことがある。
政治経済学部の日本経済史講義の主題は、(1)日本はいかにして「東洋における最初の工業国家」になったのか、(2)日本の工業化は「西洋における最初の工業国家(英国)」といかなる関係にあるのか、であった。講義ではマルクス、ウェーバー、シュンペーター、ヒックス、ロストウ、ガーシェンクロン、ポラニー、ウォーラーステイン、大塚史学、宇野理論、生態史観等の理論の貢献を紹介するとともに、日本の経済発展をグローバルな観点から理解するには、それらに限界があることを示し、新たに「文化・物産複合論」という独自の理論を立てた[193]。川勝は授業開始時刻前の教室入りを原則とし、各講義の終了後は学生との議論の時間をとり、質問・挑戦には必ず応じることとしていた[194]。
川勝ゼミのテーマは「日本と世界経済-長期的・理論的・実証的接近-」で、ゼミ生はこのテーマに関わるものであれば自由に個別のテーマを選ぶことができた。ゼミでは自分にとってのっぴきならないテーマを定めて、卒業論文(ゼミ論文)を完成されることとなっていた。入ゼミ資格は「文・武・芸の三道の鼎立をめざす者」だった[193]。川勝は日文研に移籍した後も早稲田大学には非常勤講師として残り、ゼミ生と院生の指導を継続した。
この間以下の役職も務めた。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 2009年静岡県知事選挙 | 2009年7月5日 | 60 | 無所属 | 72万8706票 | 39.58% | 1 | 1/4 | / | |
当 | 2013年静岡県知事選挙 | 2013年6月16日 | 64 | 無所属 | 108万609票 | 72.61% | 1 | 1/3 | / | |
当 | 2017年静岡県知事選挙 | 2017年6月25日 | 68 | 無所属 | 83万3389票 | 59.67% | 1 | 1/2 | / | |
当 | 2021年静岡県知事選挙 | 2021年6月20日 | 72 | 無所属 | 95万7239票 | 60.50% | 1 | 1/2 | / |
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