尚質王
琉球第2尚氏王朝第8代国王 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
尚質王(しょうしつおう、1629年10月1日(崇禎2年8月15日) - 1668年12月20日(康熙7年11月17日))は、琉球王国第二尚氏王統の第10代国王(在位1648年 - 1668年)。第8代国王尚豊王の子で、第9代国王尚賢王の弟。
![]() |
概要 尚質王, 在位 ...
尚質王 | |
---|---|
琉球国王 | |
在位 | 1648年-1668年 |
全名 | 尚質 |
出生 |
(1629-10-01) 1629年10月1日 |
死去 |
1668年12月20日(1668-12-20)(39歳没) |
埋葬 |
1668年 琉球国・首里玉陵 |
王世子 | 尚貞王 |
配偶者 | 別記 |
子女 | 別記 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚豊王 |
母親 | 西之按司加那志 |
テンプレートを表示 |
閉じる
童名は思徳金(うみとくがね)、尚豊王の四男として生まれる。一時、尚豊王の弟の尚享(尚久の七男、護得久御殿二世)の養子になっていたが、兄の尚賢王の遺命により中城王子(世子)となり、尚賢王の薨去後即位した。養父の尚享は、尚質王の摂政(1654年 - 1666年)を務めた。
羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行なった。また、羽地朝秀は尚質王の代に琉球最古の歴史書である「中山世鑑」を編集している。