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京都府京都市にある寺院 ウィキペディアから
千光寺(せんこうじ)は、京都府京都市西京区嵐山中尾下町にある黄檗宗系の単立寺院。山号は嵐山、寺号は詳しくは大悲閣千光寺と称する。本尊は恵心僧都作といわれる千手観音菩薩。江戸時代の豪商角倉了以の木像があることで知られる。境内にある、切り立った岩肌に建つ舞台造りの観音堂(客殿とも)は大悲閣と呼ばれるため、寺そのものの別称も「大悲閣」と呼ばれる。
千光寺 | |
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大河内山荘からの千光寺(改修前) | |
所在地 | 京都府京都市西京区嵐山中尾下町62 |
位置 | 北緯35度00分57秒 東経135度39分56秒 |
山号 | 嵐山 |
院号 |
大悲閣 (客殿の名称) |
宗旨 | 天台宗 → 禅宗(1808年から) |
宗派 | 黄檗宗系単立 |
本尊 | 千手観音菩薩 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 慶長19年(1614年) |
中興 | 角倉了以、道空了椿(開山) |
正式名 | 嵐山大悲閣千光禪寺 |
別称 | 嵐山大悲閣(客殿の名称) |
公式サイト | 大悲閣公式ホームページ |
法人番号 | 6130005001776 |
この寺の創建年代等については不詳であるが、当初は現在の嵯峨清涼寺の近くにあり、後嵯峨天皇の祈願所であったが長らく衰退していた。江戸時代初期の慶長19年(1614年)、豪商角倉了以が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために、嵯峨の中院にあった千光寺を現在地に移転させた。もとは天台宗であったが、文化5年(1808年)に黄檗宗に改宗した。
明治維新(廃仏毀釈)で一旦衰退した後、大悲閣以外や境内を失った後、徐々に本堂などを再建したが、1959年の伊勢湾台風により大きな被害を受けた。本堂も大悲閣も屋根の多くが飛び、仮補修でしのいできたが、1978年に本堂は解体された。その後現在の仮本堂や仮庫裏が建てられるが、小規模なプレハブ建築である。大悲閣も長らく仮補修の状態で、舞台造りの建物は金属ワイヤで支えられ、ワイヤを隠すため床下の木組み部分を工事用の白いシートで覆われ、欄干部分に出ることはできず、窓の部分にはワイヤがX字に交差して風景を邪魔する状態が長く続いた。2012年になり正式な改修工事が行われ、大悲閣は元の姿を取り戻した。
現在の大悲閣は、保津川の開削を計画した角倉了以や、その一族(外祖父)で塵劫記の著者の吉田光由に因み、そろばんや数学・理学向上の寺ともされている。
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