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前漢3代 ウィキペディアから
少帝(しょうてい)は、前漢の第3代皇帝(歴代皇帝に含まない場合もある)。一般に諱は恭とされるが、『史記』・『漢書』およびその注にその記録はなく、近代日本において「劉某」が誤写されたのが初出と考えられる[1]。『太平御覧』などでは前少帝と書かれる。
恵帝(劉盈)と後宮の女性との間に生まれた。恵帝死後、張皇后(魯元公主の娘)が嗣子をもうけていなかったため、呂太后の支持を得て即位した。この際、呂太后の外孫にあたる張皇后が生んだ子であると公表するために、生母たる女官は殺害されたといわれる。
少帝が成長してこの事実を知ると、呂后を恨むようになった。呂后が少帝の怨恨を知ると、後難を恐れた呂后は少帝を幽閉、重病であるとして廃位した。それから間もなく少帝は殺害された。
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