八重山諸島のマラリア
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八重山諸島のマラリア(やえやましょとうのマラリア)では、沖縄県の八重山諸島で1961年まで感染者が発生していたマラリアについて記述する。八重山諸島のうち石垣島、西表島、小浜島、与那国島の4島では、48時間おきに発熱する三日熱マラリア、72時間おきに発熱する四日熱マラリア、不規則に熱発する熱帯熱マラリアの3種類のマラリア感染が見られた。中でも南部沿岸部を除く石垣島と西表島が流行の中心であった。加えて流行が見られない地域からマラリア有病地である南部沿岸部を除く石垣島や西表島まで通って耕作を行う通い耕作と呼ばれる風習があったため、実際には八重山諸島全体でマラリアの感染者が見られた。八重山諸島のマラリアの特徴のひとつとして悪性の熱帯性マラリアが多数を占めており、琉球王国時代から多くの人々を苦しめてきた。とりわけ第二次世界大戦末期に発生した戦争マラリアでは多くの感染者、犠牲者を出した。
明治時代以降、たびたび八重山諸島のマラリアの実態調査が行われた。1921年からはマラリア対策も進められ、一定の成果を挙げたものの戦前期には撲滅に至らなかった。戦後、アメリカによる沖縄統治下において、ウイラープランと呼ばれる本格的なマラリア撲滅計画が実施され、1961年を最後に八重山諸島のマラリアは消滅した。八重山諸島のマラリア撲滅によって石垣島と西表島の観光開発が可能となり、また八重山諸島のマラリア撲滅は熱帯の開発途上国のマラリア対策のモデル事業のひとつとされている。