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富山県と石川県の境にある峠 ウィキペディアから
石川県河北郡津幡町倶利伽羅と富山県小矢部市石坂との境に位置する[1]。この倶利伽羅峠を境にして、東側に砺波平野が、西側に金沢平野が広がっている。
広義には、北に位置する天田峠(あまだとうげ)も含める。
古代より、北陸道がこの峠を通っていた[3][4]。寿永2年(1183年)、源氏と平氏による戦いがあり、これが倶利伽羅峠の戦いと呼ばれている(詳細は当該項目を参照)[1][2][4][5][6]。
明治に入り、北陸道を継承した国道20号(現在の国道8号の一部)も倶利伽羅峠を通っていた。1878年(明治11年)の明治天皇の北陸巡幸の際、倶利伽羅峠は急坂で天皇の輿が通れないため、北の天田越(天田峠)が改修され、後にこちらが国道となった。1899年(明治32年)、北陸本線が富山まで延伸されたときも天田峠の下にトンネルが掘られた。これが、現在の「倶利伽羅トンネル」である。
天田峠越えの国道は最高勾配が11.3%、峠の両側にヘアピンカーブが連なり、幅員も7.0mと狭く、特に積雪時は除雪障害区域として交通確保に困難を極めていた[7]。
1955年(昭和30年)9月1日[8]、北陸本線の勾配の緩和のため近くに新しいトンネル(現在あいの風とやま鉄道があいの風とやま鉄道線として使用しているトンネル、全長2,459m、1954年〔昭和29年〕8月21日貫通[9])が開通した。1941年(昭和16年)の着工以降、戦争による中断を経て1953年(昭和28年)3月に工事が再開し、1954年(昭和29年)8月21日に貫通していた[10]。このトンネルの開通で補助機関車による牽引が不要になった[11]。古いトンネルは、1967年(昭和42年)12月6日より国道8号のトンネルに転用された[7][12]。天田峠を越える旧道は石川県道・富山県道286号刈安安楽寺線となっている。倶利伽羅峠を越える道は、1995年(平成7年)に建設省(当時、現在の国土交通省)の歴史国道に選定された[3]。 2009年(平成21年)4月28日には、北陸道の峠道が歴史的価値の高い道路遺構であるため石川県の史跡に指定されている[13]。
北陸新幹線については、当初は倶利伽羅トンネルよりも北方に加越トンネルを建設していたが、石動駅を通るルートに変更されて加越トンネルは放棄され、倶利伽羅トンネルに近い位置に「新倶利伽羅トンネル」が建設された(1996年4月23日に貫通[14])。
現トンネル北側に延長3 kmの新ルート(富山県小矢部市安楽寺 - 石川県河北郡津幡町河内)を整備する計画で、新ルートは富山側に1号トンネル(延長1,870 m)を、石川側に2号トンネル(延長430 m)をそれぞれ有する[17]。
車道部分はいずれも幅員10.5 mで、車道は1車線当たり幅員3.5 m[17]。また路肩(幅員0.5 m)を片側に設けるほか、現道にはない歩道(幅員2.5 m)も設置する[17]。2019年(令和元年)6月24日までにルートが決定したが開通時期は未定[17]。
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