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佐々木 修一(ささき しゅういち、1950年4月10日 - 2015年6月10日[1])は岩手県出身の調教師。岩手競馬・水沢競馬場所属。1999年1月、JRA東京競馬場で行われたGIフェブラリーステークスで管理馬メイセイオペラが優勝[2][3]、2012年現在でも地方競馬で唯一のJRAGIを勝利した調教師である。
都会への憧れが人一倍強く、その頃流行していた佐々木新一のヒット曲「あの娘たずねて」をよく歌っていた[4]。自動車整備士を目指して1967年に集団就職で上京し、東京の自動車会社に入社。横浜郊外にあるサービス工場が職場となり、トラックの荷台の溶接を任された。丁寧な仕事を心掛けるも、その態度が上司には「仕事が遅い」と映って毎日叱責されたが、深夜までこつこつ働いた。しかし、一年が過ぎても相変わらず仕事は溶接ばかりで、理想とはかけ離れた仕事内容で嫌気が差していた[4]。ある日、競走馬の育成をしている叔父から「今度、岩手の馬が東京で走るぞ」と電話があり、大井競馬場で叔父が育てた馬が勝ったレースを見て競馬の世界に魅了され、競馬の世界に飛び込むことを決意[5]。南関東を経て水沢に戻り厩務員生活を送り、41歳で調教師の資格を得て1992年厩舎を開業。厩舎を開業して2年が経った1994年、管理馬で明正商事の所有馬のパラダイスカフェがデビュー、同馬は1995年にかけてデビュー12連勝を記録するなど通算18戦16勝、2着1回、3着1回という成績を残した。そして1996年、メイセイオペラがデビュー。途中、不振や大怪我などあったが活躍。その後もコンスタントに重賞勝ち馬を輩出し、岩手競馬厩舎リーディングでも上位の常連となっている。
2004年7月13日放送のNHK『プロジェクトX』で、メイセイオペラのテーマで佐々木修一が取り上げられた。番組中では主役級の扱いであった。また、菅原勲騎手、柴田洋行厩務員とともに登場。当時の思い出を語った。
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