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江戸時代の日本の皇族。伏見宮19代。一品、上野太守、兵部卿。伏見宮邦頼親王の長男。 ウィキペディアから
伏見宮貞敬親王(ふしみのみや さだよししんのう)は、江戸時代の日本の皇族。世襲親王家の伏見宮第19代当主。伏見宮邦頼親王の王子。幼称は嘉禰宮(かねのみや)。
安永8年(1779年)の後桃園天皇の崩御の際には、皇位継承の候補となった[1][2]。
寛政9年(1797年)8月親王宣下。貞敬と命名される。同月元服し、上野太守に補任され三品に叙せられる。享和2年(1802年)父邦頼親王が薨去したことにより伏見宮を相続する。文化元年(1804年)兵部卿となり、翌文化2年(1805年)には二品に昇叙される。文化8年(1811年)一条輝良の女輝子(てるこ)と結婚する。天保12年(1841年)正月一品に昇叙するが、間もなく薨去した。67歳。
なお貞敬親王から見て、香淳皇后が玄孫であることから、第125代天皇明仁は来孫、第126代天皇徳仁は昆孫にあたる[注釈 1]。
貞敬親王は16男19女もの子宝に恵まれたが、成人した男子は5人にとどまった。幕末・明治期まで存命した男子は邦家親王と守脩親王のみである。
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