九鬼良隆
ウィキペディアから
ウィキペディアから
九鬼 良隆(くき よしたか)は、江戸時代前期の志摩国鳥羽藩の世嗣。官位は従五位下・志摩守。
初代藩主・九鬼守隆の長男として誕生。母は天翁院橘宗忠の娘。正室は本多政武の娘。
鳥羽藩嫡子として生まれ、慶長19年(1614年)徳川秀忠に拝謁する。元和6年(1620年)叙任するが、寛永9年(1632年)に病弱のため、家督を継ぐことなく廃嫡された。同年、父・守隆が死去し家督相続を巡って、三弟・隆季と末弟・久隆の争いとなる。結局、家督は久隆が継ぐことになるも、所領を摂津国に移封されてしまう。また、隆季にも所領が与えられ、九鬼家分家として存続することとなった。
良隆自身は廃嫡後の寛永11年(1634年)、30歳で没した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.