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日本の剣術流派 ウィキペディアから
一刀流中西派(いっとうりゅうなかにしは)は、日本の剣術の流派。小野派一刀流の分派の一つ。
小野家第4代・小野忠一の直弟子であった中西子定が一刀流中西道場を開いたことから始まるが、子定自身は「一刀流中西派」という流名を称しておらず、正式名称は「一刀流」のままであり、小野家から学んだ一刀流という意味で対外的に「小野派一刀流」と名乗っていた。また中西家に学んだ者は「小野派一刀流」と称していた。昭和期の高野佐三郎も小野派一刀流を名乗っている。「一刀流中西派」という名称は、いつ頃からか不明であるが、現在では高野弘正門下で使用されている。一般の小野派一刀流と中西子定の系統とを区別するための俗称であると思われる。なお、小野派一刀流との関係から中西派一刀流と誤って書かれる事も多いが、流派関係者は一刀流中西派と書く。また小野派一刀流中西派と書かれる事もある。
稽古は木刀による形稽古(組太刀)と竹刀稽古とに大別される。中西子定の子である中西子武が宝暦年間(1751年 - 1763年)に防具を改良し、竹刀稽古を導入したことが大きな特徴である。竹刀稽古の導入により一刀流中西派は急速に広まり、現代剣道の母体となった。
現在は高野家が一刀流中西派宗家を称している。
なお、これらの人物は自流を建てた者以外は全員小野派一刀流を名乗っている。
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