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世界日報(せかいにっぽう)は 東京都中央区日本橋茅場町に本社を置く世界日報社(日本法人)により発行される総合日刊紙である。1975年 (昭和50年) 1月1日に創刊された。
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日刊紙は関東地方の一部及び沖縄県の本島[注 1]を配布地域としている。
日刊紙の他に1991年 (平成3年) より日本全国向けの週刊紙『Sunday世界日報』を創刊した。その他に月刊紙『ビューポイント』がある。また2000年 (平成12年) に、商用の総合日刊紙としては日本初となる電子新聞サービスを開始した[1]。日刊紙、週刊紙、月刊紙ともに電子版でも配信している。
文鮮明の指示により、統一教会と国際勝共連合が出資して、一般紙を目標に1975年(昭和50年)1月1日に創刊された[3][4]。『聖徒』[注 2]1974年 (昭和49年) 11月号によると、文鮮明が「思想新聞を日刊化しなければ、日本の復帰計画は果たされない」と発言したことで、日本国内で統一教会による日刊紙の発行が決まった[3]。『世界日報』の名称も、文鮮明が久保木修己国際勝共連合会長にロンドンで下したものである[3]。この当時、勝共連合の機関紙『思想新聞』(1969年創刊の『国際勝共新聞』が前身) は旬刊だったので、それを日刊化しようとしたが、勝共連合の名前をだすと強い拒否反応を引き起こすことが予想されたので、名前を隠して日刊化を目論んだもののようである[5]。創刊した当初、『世界日報』は無料配布されていた新聞だった[3]。
1974年 (昭和49年) 6月に、石井光次の名義でワールドビル (東京都渋谷区宇田川町9-12) と契約[3]、同ビルの3階に同社の編集局・資料室・印刷局が入った[6]。また、印刷所を東京都港区海岸に置いた。1978年 (昭和53年) 頃は、30から50名ほどの局員で編集作業をしていたようである[6]。石井は世界日報社代表取締役社長に就任した。
すでに述べたように、1975年 (昭和50年) 創刊の『世界日報』は、その名前は文鮮明が直接に指定したものである。それ以前に、1946年 (昭和21年) 創刊の『世界日報』(1951年〈昭和26年〉廃刊) という同名の新聞があったが、1975年 (昭和50年) 創刊の『世界日報』との間に関連性はなく、偶然名前が一致しただけである[注 3]。
発刊当初は購読部数が伸びたが、その後漸減し、1977年 (昭和52年) 秋の数字で公称30万部、実売数10万部だったという[8]。また、実売10万部のうち、多くは原理研究会の学生や統一教会の信者だったようである[8]。結局、当初の目標だった日刊紙となるにはほど遠く統一教会の機関紙以上にはならなかった[4]。
『世界日報』は政治家の名刺広告が多い新聞で、同紙に広告を載せる対価として20万から30万円、場合によっては数百万円を手渡し、政治家を自身の権威付けのために利用していた[9]。1970年代末に『世界日報』や統一教会と関係の深かった議員の1人に石原慎太郎がいる[9]。1975年 (昭和50年) の東京都知事選に石原が出馬した際、勝共連合・統一教会が石原をバックアップしただけでなく、勝共連合から1億5千万くらいの選挙資金が石原に提供されている[9]。
1983年(昭和58年)までは、世界日報の社員は全員が統一教会の会員であり、慢性的赤字体質で、不足分は統一教会が補填していた[10]。また寄稿者は統一教会と関係の深い者で占められていた[11]。1970年代末の論説委員は、阿部正寿 (救国連盟常務理事、元『思想新聞』論説主幹)、野村健二 (統一思想研究所長・元東洋大講師)、松下正寿 (世界平和教授アカデミー会長・元立教大学総長)、漆山成美 (京都産業大学教授)、久保田信之 (学習院教授、『季刊アカデミー』編集委員)、丹波春喜 (筑波大学教授)、入江通雅 (京都産業大学教授・外交評論家)、広田洋二 (外交評論家・元駐米公使)、広津恭輔 (総合研究所研究員・元公安調査庁調査第一部長)、関野英夫 (史料調査会理事・軍事評論家) などが常連だった[12]。その後も、統一教会・勝共連合関係の人間に執筆を依存する傾向は変わらなかった。1983年 (昭和58年) 前後になっても、松下正寿・福田信之・入江通雅、勝共連合顧問の広田洋二・弘津恭輔に寄稿を依存するといった状態が続いていた[11]。
1987年(昭和62年)、港区にあった工場を板橋区舟渡に移転。
1998年(平成10年)には、メールマガジンである「ワールド・ニューズ・メール」のサービスを開始し、翌年の1999年(平成11年)には当時では珍しい電子新聞である「IT e-News」をリリースした[13]。
2006年(平成18年)、本社を渋谷駅近くの渋谷区桜丘町に移転するが、その後自社印刷拠点と統合する形で板橋区に再度移転した。
2017年(平成29年)8月、東京都中央区日本橋茅場町に本社を移転。同時に千葉県市川市高谷に総務、編集局などを置くメディアセンターも構築した[14]。
韓国の全国紙『世界日報(セゲイルボ)』、米国のワシントン・タイムズやネパールのリパブリック・メディアと提携している[15]。(姉妹紙を参照)
世界日報読者向けに1983年(昭和58年)5月18日に設立された世日クラブというものがあり、講演会を行っている。そこでは、保守強硬系を中心とする日本国内の著名な論客[注 4]や自衛隊の元高級幹部[注 5]の講演が数多く行われている。また世界日報社が制作するインターネット番組「パトリオットTV」は田村重信がキャスターを務め、多彩なゲストが出演している[注 6]。
会社案内より[16]。
論調の根幹は親米保守・反共主義・強硬路線である。また、明治中期まで全盛だった政論新聞に近い雰囲気がある。世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)への批判が強まった2022年(令和4年)夏からは、教団側の主張を伝える言論戦の手段として重用されている。
国際性や愛国性などの編集方針を掲げる保守系一般紙だが、同じく保守系メディアとして知られる産経新聞や読売新聞よりも強硬な立場を主張し、極右とみなされることもある他、母体が母体ゆえ必ずしも日本の保守勢力の全てから評価されている訳ではない。それゆえに産経新聞や読売新聞であっても本紙に対し批判的な立場に回ることや、逆に本紙がそれら保守系大手紙の論調にブレがあるなどと批判することもある。
また、共産主義を批判・克服する先導性を掲げ、親米反共の立場をとる[17]。家庭連合の政治組織である国際勝共連合も本紙とは別に『思想新聞』を発行している。
勝共連合が支持する国会議員(勝共推進議員)を与野党問わず支援する。旧統一教会の日本進出に大きな役割を果たした第56・57代内閣総理大臣岸信介の流れを汲む自民党安倍派清和政策研究会とのつながりがとりわけ強いと指摘されているが、勝共推進議員は2022年の時点で自民党以外に立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、参政党にもいる。
日本国内では各政党が発行している機関紙に対して独自の見解を述べることもあるが[18]、国内主要政党では自民党と連立を組む公明党およびその支持母体創価学会と立場が異なることに対し、それなりの配慮がなされている。
一般の事件報道には滅法弱く三面記事はほとんど扱われない。自社取材ないし記事作成を除く国内の一般ニュースは、時事通信社から供給を受けている。
世界の主要紙の論調などの翻訳記事を、定期的に掲載している。
1983年には旧ソ連の亡命将校であったレフチェンコの証言から日本人エージェント名を報じている。その他に、1967年に日本社会党の幹部がソ連を訪問し、木材貿易で3000万円の経済支援を要請していたと報じている[19]。
2018年6月、シンガポールで行われた米朝首脳会談で、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが朝鮮労働党委員長金正恩に対し、北朝鮮の「完全非核化」に対する費用を名目に500億ドル(約5兆5000億円)を拠出させる約束を交わしていたと報じた[20]。
2019年4月、ベトナム・ハノイで行われた2回目の米朝首脳会談の際、トランプが金正恩に対し、米国陣営か中国陣営か、選択を明確にするよう迫っていたことを報じた。これに対し金正恩は即答せず会談は決裂したとしている[21]。
幼少期からの科学的な見地に基づく性教育について、「性交のすすめ」につながり「快楽の性」や「性の自己決定権」を教え込む過激な性教育だとして反対し、伝統的家庭の価値観を重視し、ジェンダーフリー批判や公立高等学校での一律男女共学化批判(「別学の良さを否定するのはおかしい」)、中高生に対する子宮頸がん予防ワクチン接種推進に反対し性交渉を控えさせる教育を主張するなど[22]、保守的な道徳・倫理観を称揚する紙面作りがなされている。
文部科学省発行の小中学生向け道徳教材「私たちの道徳」が児童・生徒一人一人に配られず、家に持ち帰らせていない学校が多くある問題について、世界日報社が実態を調査し、80.7%の児童・生徒が同教材を持ち帰っていないことや、35.8%の学校で使用されていないことが判明したと報じた一連の報道は[23]、国会質問で取り上げられ、産経新聞も質問内容を報じている[24]。
皇位継承問題においては、家庭連合系の日本紙世界日報が女子皇族の皇位継承に反対と主張したのに対し、韓国紙世界日報(セゲイルボ)は逆に女性天皇を認めるべきと主張するという“ねじれ現象”が生じた。
2007年4月頃から昭和天皇の洋服デザイナーを務めた、元三越日本橋本店紳士服チーフデザイナーの奥山孝夫が、昭和天皇の洋服作りとファッションを回想するシリーズ「陛下のお仮縫い」を掲載している。関連する著書に奥山孝夫著・世界日報社刊『陛下のお仮縫い~昭和天皇・洋服デザイナーの回想』がある[25]。
2019年1月には昭和天皇の直筆御製(和歌)の草稿と直接原稿が発見されたことについて報道した。その際、朝日新聞の同年元日付けの報道は意図的な歪曲であると批判し、保守系から一定の評価を得ている。岸信介の死を悼む3首や伊豆大島で災害救助に当たる人々を詠んだ歌など未発表の御製も含まれている。
アメリカ合衆国の二大政党のうち、共和党にはほぼ追従と言ってもいいほど強い支持を与える一方、民主党はその存在自体強烈に非難する。またネオコンの立場を代弁する。同じ家庭連合系の米国紙『ワシントン・タイムズ』も保守強硬系言論紙として共和党の政策を一貫して支持してきている(ちなみにロナルド・レーガンがアメリカ合衆国大統領に当選した時に、日本の世界日報は号外を発行し東京で配布した)。
日米関係では、日本に対して対米従属を強く求める論調を出す。
中東情勢報道でも米国擁護、親イスラエル路線を明確にしており、これらと対立するアラブ・イスラーム諸国、またはイスラーム主義には批判的である。例えばパレスチナで、初の普通選挙にてハマースが勝利した際には、“パレスチナ住民の教育水準が低く政治的思考力が欠けているためにテロ組織を第一党に選んでしまった”として、米国・イスラエルの保守派と同じ主張を行った。
2000年代初頭、ジョージ・W・ブッシュ政権が国連での合意を経ずにアフガン侵攻・イラク戦争を始めて対米批判が強かった頃も、一貫して開戦を正当なものと論じてきた。
1994年(平成6年)9月25日と10月30日付の二回、「文春『オウム真理教攻撃』のウソ」と題して、資産家拉致・監禁事件にオウム真理教信者が関わったとする『週刊文春』の報道を批判し、実際は被害者であった長女夫妻や四女らによる資産目当ての犯行と論じ、オウム真理教を擁護した[26][27]。
1996年(平成8年)、地下鉄サリン事件を機に自民党が提案した「宗教基本法案」を取り上げ、同法案に対する反対キャンペーンを展開した。同法案は当時自民党所属の衆議院議員だった与謝野馨が座長を務めた「宗教問題ワーキンググループ」において発案されたものだが、政治が過度に宗教を規制するものだとして批判を浴び、最終的に廃案となった[28]。
近年においては、キリスト教根本主義・宗教右派勢力から支持されていると言われる「インテリジェント・デザイン」(ID)理論に肯定的な記事もしばしば載せている[29]。
親米反共の立場から、容共思想ないしは新左翼勢力、さらには左派系論客に対しても厳しい監視の目を光らせるという立場で一貫している。中でも日本共産党に対しては「共産党ウォッチ」という連載が続けられており、元党員の岩田英一や筆坂秀世らが寄稿している。
以前は韓国の報道機関が使っている自称「韓半島」を日本紙世界日報でも使うことがあったが、現在は基本的に「韓国」と表現されることが多い。また、社説などにおいて韓国政府の対応を批判する論調も見られる。
なお、韓国紙世界日報(セゲイルボ)の記事が掲載される場合はこの限りではなく、記事の末尾には「※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです」と記載される[30]。
1982年(昭和57年)10月、経営立て直しのために統一教会会員だった副島嘉和と井上博明が世界日報社に送り込まれる。彼らは、設立時本来の目的だった一般の日刊紙を目指して、紙面作りの刷新・販売店の拡充・200人余りの人員整理・売掛金の回収・経営の合理化・社員の非宗教化を行ったが、それが統一教会と勝共連合の強い反発を買った[11]。その結果、副島と井上を世界日報社から追放するために、1983年(昭和58年)10月1日、勝共連合の者約100人が世界日報本社を占拠すると言う暴力事件にまで発展した。この事件は文の指示によるもので、それに忠実に従い暴力事件を率いたのが当時の勝共連合理事長梶栗玄太郎である[34]。副島・井上両名が世界日報社から追放された後、世界日報社の役員は統一教会と勝共連合の役員が独占、社長には暴力事件の実行者だった梶栗が就任し、結局元の統一教会の機関紙及び勝共連合の宣伝紙に戻った[34]。
統一教会幹部であり世界日報編集長であった副島嘉和が統一教会を裏切ったとみなされ襲撃された後、より統一教会色が強い新聞となった[35]。
1983年(昭和58年)10月1日、当時の編集局長ら(副島嘉和と営業局長の井上博明)による、統一教会色を薄め一般紙を志向する路線を会社の乗っ取りであると反発した国際勝共連合理事長梶栗玄太郎ら約百人が、東京都渋谷区宇田川町の統一教会本部が入居していた『ワールドビル』[注 7]内にあった世界日報社事務所に押しかけて社内を占拠し、社員を監禁・暴行した[4]。
この事件で追放された副島と井上は連名で『文藝春秋』 1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ ―世界日報事件で『追放』された側の告発―」という手記を発表。統一教会の思想が“いずれ世界は統一教会により統一される、そしてその中心は世界の王たる文鮮明師である”とする韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどを暴露した。中でも、世界各国の、やはり統一教会の幹部たちが演じる元首“代理”と共に、統一教会会長久保木修己が“天皇の代理”として文鮮明に拝礼する秘密儀式があるという内容に、勝共連合を反共の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し反発した。
同誌発売直前の1984年(昭和59年)6月2日、副島は、帰宅途中の路上で暴漢に「韓国の空手を使ったような」(副島本人による証言)技で全身をメッタ刺しにされ、危うく命を落としかけるほどの重傷を負った(「副島襲撃事件」)。
民族派の葦津珍彦による著書『明治憲法の制定史話』(神社新報社、2018年)は、世界日報で1986年に連載したものを発行したものとされており、その「はしがき」で社長の高山享は、「格別の御理解と御協力を賜った世界日報社に対し、深甚なる謝意」を表すとしている[47]。
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