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ヴィエンチャン都
ラオスの自治体 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ヴィエンチャン都(ヴィエンチャンと、ラーオ語: ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ)は、ラオスの広域地方行政区分のひとつ。首都・ヴィエンチャン(チャンタブリー郡、シーコッタボーン郡、サイセーター郡、シーサッタナーク郡、ハートサーイフォン郡)を内包する。ヴィエンチャン特別市と称されることもあり、他の県とは区別される。
概要 統計, 県都: ...
統計 | |
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県都: | ヴィエンチャン |
面積: | 3,920 km² |
人口: | 810,846人 (2013年) |
人口密度: | 人/km² |
ISO 3166-2:LA: | LA-VT |
位置 | |
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行政区分 | |
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なお、ヴィエンチャン市(ラーオ語: ເທດສະບານ)という行政区分は現存していない。
メコン川の河口から上流の1584kmの左岸に位置し、タイとの国境をなすメコン川にのぞむ。ヴィエンチャンとは白檀(ラーオ語: ໄມ້ຈັນ)の都や月(ラーオ語: ຈັນ)の都とする説がある。古くからラーオ族の中心地の一つで、14世紀半ば以降ラーンサーン王国の版図に入り、1563年ルアンパバンから遷都された。1707年にラーンサーン王国がルアンパバン王国とヴィエンチャン王国に分裂した後にヴィエンチャン王国の首都として繁栄した。その後、1827-28年にタイに占領され破壊されたが1899年にラオスがフランス領インドシナに編入されると行政府が置かれた。1953年のフランス=ラオス条約によりラオス王国の独立が認められた後には、ルアンパバンの王都とともに、ヴィエンチャンは行政首都となり再興された。その後、1975年の王政の廃止後、ヴィエンチャンはラオス人民民主共和国の首都となった。
市内には仏教寺院が多く、文化や教育の中心地でもある。都の北東部にはプーカオクワイ保護林、北西部はプーパナング保護林があり野鳥や蝶類、蘭の宝庫となっている。