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レオノール・デ・ヴィゼウ(Leonor de Viseu, 1458年5月2日 - 1525年11月17日)は、ポルトガル王ジョアン2世の王妃。
ヴィゼウ公フェルナンド(アフォンソ5世の弟)と妃ベアトリス(ドゥアルテ1世の弟ジョアンの娘)の長女として、ベージャで生まれた。
1471年1月、当時ポルトガル公(王太子)だった従兄ジョアンと結婚、2子をもうけたが、成人したのは1人だった。
王妃となってから、カルダシュ・ダ・ライーニャ(現在のレイリア県の都市で「王妃の温泉」の意味)の町を建設した。1491年、ポルトガル公アフォンソが落馬によって急死した。ポルトガル公妃イザベル(カトリック両王の長女)との間には子がなく、未亡人となったイザベルはカスティーリャへ帰国した。
ジョアン2世は、愛妾アナ・デ・メンドンサ(アフォンソ5世の後妻フアナ王妃の女官)との間に庶子ジョルジェ(1481年 - 1550年)がおり、ジョルジェを後継としたい意向だった。ジョアン2世には兄弟がないため、嫡出の血統をさかのぼると、ヴィゼウ公フェルナンドの次男でレオノールの弟、ベージャ公マヌエルが最も近く年長だった。レオノールの強い働きかけの結果、後継に指名されたのはマヌエルで、ジョアン2世の死後マヌエル1世として即位し、元ポルトガル公妃イサベルを自らの妃に迎えた。
マヌエル1世と2番目の妃マリア(イサベルの妹)との間の息子ジョアン3世の即位後の1525年に死去した。
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