シャフレ・レイ
古代から中世にかけてイラン高原中央部にあった都。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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シャフレ・レイ(ペルシア語: شهر رِیْ, ラテン文字転写: Šahr-e Rey)[注釈 1]は、イランの首都テヘランの南方10キロメートルの場所に位置するテヘラン州のシャフレスターン[注釈 2]である。東西及び南北交通路の交差する交通の要衝に位置し、紀元前から人の集住する町があった。8世紀から13世紀にかけて、その町は「ライイ」(al-Rayy)あるいは慣用的に「レイ」と呼ばれ、イスラーム帝国の東方支配の要として栄えた。「ラーズィー」(al-Rāzī)は当該レイとの関連があることを示すニスバである。しかし相次ぐモンゴルの侵攻で荒廃し、一度は遺棄された。その後、シーア派の聖者廟(シャー・アブドルアズィームのハラム(英語版))を中心に町が発展し、現代に至る。