モンモランシー公
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モンモランシー公(duc de Monmorency)は、フランス貴族の爵位。ヴァル=ドワーズのモンモランシーを治めるモンモランシー家に与えられた。
モンモランシー公位は、アンヌ・ド・モンモランシーのモンモランシー男爵位が1551年に公爵に昇格することで生まれた。この公位は1632年、アンヌの孫で4代目のアンリ2世が反逆罪で処刑され、失われた。
1633年、アンリ2世の姉シャルロット=マルグリットとその夫コンデ公アンリ2世に与えられ、コンデ公家が継承した。1689年にはアンギャン公と改名された。
1688年にシャルロットと同族でフランス元帥フランソワ・アンリ・ド・モンモランシーの息子のピネー=リュクサンブール公シャルル1世フレデリックがボーフォール公位をヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンから買い取り、翌1689年、ボーフォール公をモンモランシー公に改名した。この公位は1767年、モンモランシー家の分家であるモンモランシー=フォッス家が女系継承し、1862年まで続いた。
1864年、皇帝ナポレオン3世によって、6代公の妹アンヌ・ルイーズ・シャルロットを妻とするタレーラン公ナポレオン・ルイの次男ニコラに与えられた。1951年に男系子孫が途絶えたことで、モンモランシー公位も消滅した。