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マザールとハルーラーの戦い
第二次内乱期の戦闘 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
マザールとハルーラーの戦い(アラビア語ラテン翻字: Yawm Madhār, Yawm Ḥarūrāʾ)は、686年にイラク南部のバスラとクーファの周辺地域で続けて起こったイスラーム世界の第二次内乱期の戦闘である。
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これらの戦闘はメッカを拠点にカリフを称したアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルの弟でバスラを治めていたムスアブ・ブン・アッ=ズバイル(英語版)の軍勢とクーファでアリー家支持派の人々を率いていたムフタール・アッ=サカフィーの軍勢の間で行われた。戦闘は両方ともムスアブの勝利に終わり、ムフタールはクーファの自身の宮殿に退いたものの、ムスアブは宮殿を4か月にわたって包囲し、最終的にムフタールを殺害するとともに数千人に及ぶ市内のムフタールの支持者も殺害した。また、ムフタールの配下でイラクの北方のモースルに駐屯していたイブン・アル=アシュタルもズバイル家に投降したため、ムスアブはイラクの全土とその属領を支配下に収めることになった。