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プラーサート・ワット・プー
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プラーサート・ワット・プー(英語:Vat Phou / Wat Phou、ラーオ語:ວັດພູ[wāt pʰúː]、プーは山の意)はラオス南部にあるクメール人により建てられたヒンドゥー寺院の遺跡群である。クメール人によりプラーサート(宮殿あるいは城)として建設されたが、ラーンサーン王国時代にラーオ族の勢力がここを占拠するに至って、この城が神聖視されたことで、新たにワット(寺)として位置づけられた。
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チャンパーサック県内プー・カオ山のふもと、メコン川から6キロあまり離れたところに位置している。この地には5世紀頃にはすでに寺院が存在していたようであるが、現在残っている建物は11世紀から13世紀の間に建てられたものである。歩廊をたどっていくと本堂へと導かれる構造になっており、本堂ではシヴァに献納されたリンガが湧水に沈められている。このヒンドゥー寺院は後に上座部仏教の礼拝施設へと改修されて今日に至っている。