フェネンナ・クヤフスカ
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フェネンナ・クヤフスカ(Fenenna kujawska/inowrocławska、1268/77年 - 1295年)は、ハンガリー王アンドラーシュ3世の妃。イノヴロツワフ公ジェモミスウの娘、母はポモジェのルビシェヴォ公サンボル2世の娘サロメア。
概要 フェネンナ・クヤフスカ Fenenna kujawska, 在位 ...
フェネンナ・クヤフスカ Fenenna kujawska | |
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ハンガリー王妃 | |
ハンガリー王妃フェネンナの印璽、1291年 | |
在位 | 1290年 - 1295年 |
出生 |
1268/77年 |
死去 |
1295年![]() |
結婚 | 1290年 |
配偶者 | ハンガリー王アンドラーシュ3世 |
子女 | エルジェーベト |
家名 | クヤヴィ・ピャスト家 |
父親 | イノヴロツワフ公ジェモミスウ |
母親 | サロメア・フォン・ポンメルン |
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フェネンナはハンガリー語の史料のほか、「聖ヤドヴィガの系統図」とヤン・ドゥゴシュの年代記という2つのポーランド語史料の中に登場している。「系統図」はジェモミスウ公の名称不明の娘がハンガリー王と結婚したとしている。この情報をもとに、ヤン・ドゥゴシュは彼女がイシュトヴァーン5世と結婚したと主張した。ドゥゴシュの情報の誤りは19世紀までの歴史研究の結果、アンドラーシュ3世の妃であると訂正された。
フェネンナがハンガリー宮廷で重要な役割を果たすことはなかったが、ハンガリー王妃としての彼女の存在は、夫アンドラーシュ3世と父方の叔父ヴワディスワフ1世短躯王との同盟関係を強化し、実家クヤヴィ公家の親族たちがライバル関係にあったボヘミア王ヴァーツラフ2世に対して優位に立つことにつながった。アンドラーシュ3世の死後間もなく、国王夫妻の一人娘エルジェーベトは、ハンガリー王位を要求するヴァーツラフ3世と一時婚約していた。