ファーティマ朝
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ファーティマ朝(ファーティマちょう、アラビア語: الخلافة الفاطمية 、Al-Khilafah al-Fāṭimīyah)は、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝である(909年 - 1171年)。その君主は、イスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。王朝名のファーティマは、イスマーイールの先祖である初代イマーム、アリーの妻で預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来している。
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公用語 | アラビア語 |
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宗教 | イスラム教イスマーイール派 |
首都 | マフディーヤ(921年 - 948年) カイロ(973年 - 1171年) |
通貨 | ディナール |
現在 | エジプト リビア チュニジア アルジェリア モロッコ イタリア(シチリア島) スーダン サウジアラビア ヨルダン イスラエル パレスチナ トルコ レバノン シリア イラク |
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ファーティマ朝は、北アフリカのイフリーキヤ(現在のチュニジア)で興り、のちにカイロに移ってエジプトを中心に支配を行った。イスマーイール派の信仰を王朝の原理として打ち出し、カリフを称するなどアッバース朝に強い対抗意識をもった。同じ時期にはイベリア半島のアンダルスでスンナ派の後ウマイヤ朝がカリフを称したのでイスラム世界には3人のカリフが鼎立した。そこから、日本ではかつては3人のカリフのうち地理的に中間に位置するファーティマ朝を「中カリフ国」と通称していた。