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イギリス出身のラジオパーソナリティ、音楽評論家 (1951-) ウィキペディアから
ピーター・バラカン(Peter Barakan、1951年8月20日 - )は、イギリス出身[1]のラジオパーソナリティ、音楽評論家[要出典] 。日本国内では主にラジオパーソナリティとして番組をいくつも担当している人物であり、世界的には世界各地で放送されているNHKワールドTVの番組『Japanology Plus』のプレゼンター役として、日本の文化を世界の人々に向けて紹介する役割を果たしている。
2014年10月からは自らが監修する音楽フェスティバル「Peter Barakan's LIVE MAGIC!」を企画し、毎年開催している(新型コロナウイルス禍の2020年、2021年はオンライン開催)。[2]2021年7月からは自らが選んだ音楽映画を上映する映画祭「ピーター・バラカン音楽映画フェスティバル」(Peter Barakan’s Music Film Festival)をスタートさせた。[3]全国各地で「出前DJ」と名付けたイベントも続けている。
1951年、ロンドンでユダヤ系ポーランド人の父と、イギリス人とミャンマー人を両親に持つ母の間に生まれる[1]。(なお弟のマイケルは、後にロック・ギタリストになった。#家族の節で解説)大学卒業までロンドン在住[1]。1962年、デビューしたビートルズに強い影響を受ける。11歳から学校でラテン語と古典ギリシア語を学び、高校まで語学に関心を持ち続ける。日本語学科があるイギリスの4大学のうち、男子寮への入寮義務がなかったロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)を選択する。
同大学卒業後、ロンドンのレコード店で店員(のち店長)として働いていたとき、英語の母語話者を求める音楽出版社シンコー・ミュージックの求人に応じて1974年に来日。同社国際部で、英米の会社に向けてビジネスレターを書く仕事を担当した。1976年には"CARLOS ALPACA"の変名で、チューリップのビートルズカバー・アルバム『すべて君たちのせいさ』での英語発音指導及び収録曲のオリジナル楽曲「ALL BECAUSE OF YOU GUYS~PROLOGUE」「ALL BECAUSE OF YOU GUYS~EPILOGUE」での一部ボーカル、財津和夫との共作詞・作曲を担当。
1980年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のマネジメント事務所、ヨロシタ・ミュージックに転職し、以降のYMOの国外コーディネートや楽曲の英語・補作詞などを担当した。
逸話としては1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』に出演した坂本龍一のラロトンガ島での撮影に同行。その際に、小さな島故に島内の酒場で共演者のデヴィッド・ボウイに遭遇。ある時、ボウイが聴いていたカセットテープの曲は、ザ・コースターズだったという[4]。
その後ヨロシタ・ミュージックから独立、放送業界にも進出。TBSテレビ『ポッパーズMTV』、NHK-FM『ウィークエンドサンシャイン』、エフエムインターウェーブ『BARAKAN BEAT』などテレビ・ラジオの音楽番組のパーソナリティを数多く務めている。
NHKワールドTV『Begin Japanology』では、英語で日本文化を紹介している。その一方で、米国CBSの報道番組を紹介するTBS『CBSドキュメント』において、1988年の番組開始から2014年まで司会を務めた。音楽を中心に仕事をしてきたバラカンにとって、このCBSドキュメントは初めて音楽が関係しない番組だった。そこでプロデューサーと協議して「ブロードキャスター」という肩書きを名乗ることにしたという[5]。
2007年12月8日、クエーカーのキリスト友会・東京月会で行われた、音楽と平和をテーマとしたトークショーの準備中に、何者かにより催涙スプレーを吹きかけられる被害に遭った[6]。
「日本の音楽で一番好きなもの」という質問に、大瀧詠一のアルバム『LET'S ONDO AGAIN』と答えている。そのレコードを笑いながら聴いていると、妻に呆れられたという。中でも、布谷文夫が歌う「呆阿津怒哀声音頭」(レイ・チャールズの「What'd I Say」のパロディ)の歌詞を解読できた時の爆笑は特に印象に残っているとのこと[7][8]。
2012年9月14日から2014年6月30日まで、エフエムインターウェーブの執行役員を務めた[9][10]。ラジオに魔法をかけた100曲リストを発表し、「ラジオに魔法を取り戻す」キャンペーンなどを展開した[11]。
2013年、第50回ギャラクシー賞 DJパーソナリティー賞を受賞した。[12]
2014年9月、InterFM897でパーソナリティを務めていた『BARAKAN MORNING』が突如打ち切りとされた。この事態に対しバラカンは、「僕を起用すること自体が間違いだった」と語っている[13]。
2022年、音楽・テレビ・ラジオを通じ国際社会と日本の架け橋となったことの功績として、2021年度NHK放送文化賞を受賞した[14]。
デューク・エリントンの名言「音楽には2種類しか無い、それは良いものと悪いものである(There are only two types of music,'good' and 'bad'.)」で表されている考え方を完全にとる。自分が良いと思えるのが良い作品と判断し、「売れる」とか「売れない」とかは音楽的な良し悪しと全然関係ない、と考える。[15]
好きな音楽は、ブルース、リズム・アンド・ブルース、ソウルミュージック、ロック、ニュー・オーリンズR&B、アフリカの音楽、レゲエ、ブルーグラス、民謡・民族音楽・ワールドミュージックなど多方面に渡る。好きなアーティストはヴァン・モリソン[16]、デレク・トラックス、ボブ・ディラン[17]、リトル・フィート、ザ・バンド、グレイトフル・デッド、トム・ペティ、マディ・ウォーターズ、フェアポート・コンヴェンション、パンチブラザーズ、濱口祐自など。ニューオーリンズや中南米、アイルランドなどの欧州各国、沖縄やアイヌ、アフリカの音楽など好んで紹介している。
嫌いな音楽も明言しており、ハードロック・ヘヴィメタルは嫌いで、自身の番組ではかけさせない[15]。レッド・ツェッペリンなども「僕は駄目」と率直に述べている[18]。BABYMETALのセカンドアルバムが米ビルボードのアルバム総合ランキングで39位となり、日本人アーティストの上位40位入りの、「坂本九以来となる快挙」とされたことにも、出演番組やTwitterで「評価できない」「あんな『まがい物』によって日本が評価されるなら本当に世も末だ」と評しファンから反感を買った[19]。
妻は翻訳家の吉田真弓。息子のシンノスケ・バラカンはDJ[20]。娘はロンドン在住のサユリ・バラカン。「来歴」の節で言及した弟のマイケル・バラカン(Michael Barakan)は、プロのギタリストとなり、かつてはバイザンティアム(ビザンティウム)のメンバーとなった。その後、シェイン・フォンテイン(Shane Fontayne)の名前で、ブルース・スプリングスティーン、ブライアン・アダムス、ジョニー・アリディ、クリス・ボッティなどのレコーディングやツアーに参加した(マイケルは1986年から2000年までジョン・フィリップスの娘で、チャイナ・フィリップスの異母姉である女優のマッケンジー・フィリップスと結婚していた)。
イエロー・マジック・オーケストラとの共作詞楽曲
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