ピエモンテ公
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ピエモンテ公(イタリア語: Principe di Piemonte、フランス語: Prince de Piémont)は、サヴォイア家がピエモンテを統治した際に用いた称号であったが、後には王位の法定推定相続人の称号となった。
ピエモンテは元来、サヴォイア家が統治するサヴォイア伯国が領主として統治した附属領(アパナージュ)であり、その支配はトンマーゾ1世に始まる。ピエモンテ領主の地位はその次男であるフランドル伯トンマーゾ2世に始まるサヴォイア=ピエモンテ家、さらにその分家であるサヴォイア=アカイア家(イタリア語版)とサヴォイア家の分家が世襲することとなった。1418年にルドヴィーコ・ディ・サヴォイア=アカイアが嗣子を残すことなく没してアカイア家が断絶すると、既にサヴォイア本家を継承していたピエモンテ家のアメデーオ8世がピエモンテ領主の地位を継承することとなった。それに先立つ2年前にアメデーオ8世は自身をサヴォイア公(Duca di Savoia)に昇爵させることに成功していたことから、これを受けてピエモンテの方も公(principe)へと昇格することとなった。1720年にヴィットーリオ・アメデーオ公子がサルデーニャ王号を獲得すると、ピエモンテ公はその法定推定相続人の称号となった。法定推定相続人としての最初のピエモンテ公を用いたのがヴィットーリオ・アメデーオ公子である。
この慣習は1863年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア半島を統一して初代イタリア国王になった時も継承されることとなった。"ピエモンテ公" はイギリスにおける"プリンス・オブ・ウェールズ"と同じくイタリア王太子と同義語となったのである。