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ニコラス・グルニツキー(Nicolas Grunitzky、1913年4月5日 - 1969年9月27日)は、トーゴの政治家、第二代大統領(任1963年-1967年)。
ポーランド系ドイツ人の父、トーゴ人の母との間に生まれる。南部エウェ族に基盤を置く。フランス統治下のトーゴで、トーゴ進歩党(PTP)を結成し、シルバヌス・オリンピオらの反フランス的運動とは一線を画した。
1956年、トーゴ自治政府の初代首相に就任した。1958年の選挙ではオリンピオが勝利し、トーゴ独立(1960年4月27日)に際してはオリンピオが大統領に就任した。オリンピオは反対派を迫害し、グルニツキーは亡命を余儀なくされる。
1963年1月13日、クーデターでオリンピオが殺害されると、グルニツキーは帰国して大統領に就任した。
しかし、グルニツキー政権は軍の増員を要求するクーデターの立役者エチエンヌ・エヤデマ、アルバート・ジャファロ、ジェイムズ・アシラらの派閥抗争に悩まされ、副大統領アントワーヌ・メアチら北部人と南部のエウェ族の対立も深刻化した。
メアチとグルニツキーの対立は南北の民族対立を象徴するもので、政府は機能せず、1967年1月13日、エヤデマ参謀長のクーデターにより政権は崩壊した。
公職 | ||
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先代 エマヌエル・ボジョレー (en) (反乱委員会議長) |
トーゴ共和国大統領 第2代:1963 - 1967 |
次代 クレベール・ダジョ (en) (国民和解委員会委員) |
先代 (創設) |
トーゴ自治政府首相 初代:1956 - 1958 |
次代 シルバヌス・オリンピオ |
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