Loading AI tools
ウィキペディアから
ナッサウ家(独: Haus Nassau)は、ドイツ西部のライン地方を発祥としたヨーロッパの貴族、君主の家系。1代限りながら神聖ローマ帝国の君主(ローマ王)も出した家系で、現在のオランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家、ルクセンブルク大公家であるナッサウ=ヴァイルブルク家はともに同家の流れをくんでいる。
ライン川中流のナッサウに城を構えたナッサウ伯がその起こりであり、12世紀終わり頃に初代ナッサウ伯となったヴァルラム1世 (en) を祖とする。ヴァルラム1世の孫のヴァルラム2世 (en) とオットー1世 (en) 以降、ナッサウ家はヴァルラム系、オットー系の2つの系統に分かれる。
ドゥード=ハインリヒ┬アルノルト1世┬ハインリヒ1世(ナッサウ伯) │ └ループレヒト3世(ナッサウ伯) └ループレヒト1世┬ゲルハルト※ ├アルノルト2世 ├ループレヒト2世 └ヴァルラム1世(ナッサウ伯) (※ループレヒト1世の子と思われる)
ヴァルラム1世┬ハインリヒ2世┬ヴァルラム2世 │ └オットー1世 └ループレヒト4世 (ハインリヒ1世とループレヒト3世は上記系図参照)
ヴァルラム2世の子アドルフは、1292年にローマ王に選出されたが一代限りに終わり、以後アドルフの家系はドイツの小貴族として続いた。アドルフの孫ヨハン1世 (en) は1355年にヴァイルブルク伯となったため、この家系はナッサウ=ヴァイルブルク家と呼ばれる。
1806年にナッサウ公国が成立し、ドイツ連邦時代までナッサウ=ヴァイルブルク家のフリードリヒ・アウグスト (de) 、ヴィルヘルム、アドルフの3代のナッサウ公が治めた。普墺戦争でオーストリア方についたため、1866年にナッサウ公国はプロイセン王国に併合され、ヘッセン=ナッサウ州となって姿を消した。しかし1890年、アドルフはルクセンブルク大公に迎えられ、以後その子孫が大公家として続いている。
なお、シャルロットは家名をリュクサンブール(ルクセンブルク)家と改称、またシャルロットがブルボン=パルマ家のフェリックスを夫に迎えたことにより、現在のルクセンブルク大公家はパルム=リュクサンブール家(ブルボン=パルマ家の分家に当たる)であるが、ナッサウ=ヴァイルブルク家の名称は現在でも用いられる。
ヴァルラム2世─アドルフ┬ループレヒト6世 ├ゲルラッハ1世 └ヴァルラム3世
ゲルラッハ1世─ヨハン1世─フィリップ1世┬フィリップ2世─(ヨハン3世)─ルートヴィヒ1世─┐ └ヨハン2世 │ ┌───────────────────────────────────────────┘ └フィリップ3世┬アルブレヒト─ルートヴィヒ2世┬ヴィルヘルム・ルートヴィヒ └フィリップ4世 ├ヨハン4世 └エルンスト・カジミール─フリードリヒ─ヨハン・エルンスト (ヨハン3世は、伯位継承前に死去)
ヨハン・エルンスト──カール・アウグスト──カール・クリスティアン──フリードリヒ・ヴィルヘルム──ヴィルヘルム
ヴィルヘルム──アドルフ
アドルフ──ウィレム┬マリー・アデレード └シャルロット──ジャン──アンリ──ギヨーム
オットー1世の子孫は14世紀から15世紀にかけて、主に婚姻によってネーデルラントに領地を増やし、ブレダに居城を構えて拠点とした。オットー系ナッサウ家はブルゴーニュ公に仕えて勢力を伸ばし、ネーデルラントで随一と呼ばれる名門となった。16世紀初めにはヘンドリック3世・ファン・ナッサウ=ブレダがブルゴーニュ公シャルル(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からホラント、ゼーラント、ユトレヒトの総督に任命されている。
ヘンドリック3世と弟のナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルムはそれぞれ、ネーデルラントを含むライン左岸の領地と、ナッサウ家伝来のライン右岸の領地を相続していた。ヘンドリック3世の息子ルネ・ド・シャロンは父の遺領に加えて母方の叔父から南フランスのオランジュ公領も相続していたが、1544年に戦死した。ルネに跡継ぎがいなかったため、ヴィルヘルム1世の長男ウィレムは、従兄ルネの遺したネーデルラントの所領とオランジュ公領とを11歳で相続する。以後、ウィレムはオラニエ公ウィレム1世を称し(オラニエはオランジュのオランダ語名)、その家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれる。ナッサウ家の勢力拡大を嫌った皇帝カール5世の意向により、ナッサウ=ディレンブルク伯の称号と所領は父からウィレムの弟ヨハン6世に相続された。ウィレム1世は八十年戦争において中心的指導者となり、ネーデルラント連邦共和国となる北部ネーデルラント各州の議会から総督に任じられたが、弟ヨハンもまた兄に従い、1州の総督となっている。以後、オラニエ=ナッサウ家と分家であるヨハンの家系ナッサウ=ディーツ家は、オランダ各州の総督をほとんど世襲した。その他の主な分家としてナッサウ=ジーゲン家(ヨハン6世の次男ヨハン7世の家系)、ナッサウ=グリムハイゼン家(ウィレム1世の庶子ユスティヌス・ファン・ナッサウ (en) の家系)などがある。
ウィレム1世の曾孫でオランダ総督とイングランド王・スコットランド王を兼ねたウィレム3世(ウィリアム3世)が後継者なくして死去すると、ヨハン6世の玄孫でオラニエ=ナッサウ家の血も引くナッサウ=ディーツ家のヨハン・ウィレム・フリーゾがオラニエ公を継承した。以後オラニエ=ナッサウ家は現在までヨハン・ウィレム・フリーゾの子孫によって続いている。
ルパート ジーゲン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドゥード=ハインリヒ ラウレンブルク伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベアトリクス (リンブルフ伯ヴァルラム2世娘) | ループレヒト1世 ラウレンブルク伯 | アルノルト1世 ラウレンブルク伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルノルト2世 | ループレヒト2世 | ヴァルラム1世 | ゲルハルト | ハインリヒ1世 | ループレヒト3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ2世 | ループレヒト4世 | ヘルマン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァルラム2世 | ループレヒト5世 | オットー1世 | ヨハン ユトレヒト司教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディーター トリーア大司教 | アドルフ ローマ王 | ナッサウ=ディレンブルク家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ループレヒト6世 | ゲルラッハ1世 | ヴァルラム3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルガレーテ (ニュルンベルク城伯フリードリヒ4世娘) | アドルフ1世 ヴィースバーデン=イトシュタイン伯 | ヨハン1世 ヴァイルブルク伯 | ゲルラッハ マインツ大司教 | クラフト ゾンネンベルク伯 | ループレヒト ゾンネンベルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルラッハ2世 | アドルフ マインツ大司教 | ヴァルラム4世 | ヨハン マインツ大司教 | フィリップ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ2世 | フィリップ2世 | ヨハン2世 ザールブリュッケン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ マインツ大司教 | ヨハン2世 | ヨハン3世 | ヨハン・ルートヴィヒ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ3世 | フィリップ1世 イトシュタイン伯 | ルートヴィヒ1世 | フィリップ | アドルフ | ヨハン3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ2世 | マルガレーテ (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公ルートヴィヒ1世娘) | フィリップ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ4世 ヴィースバーデン伯 | フィリップ3世 イトシュタイン伯 | バルタサール ヴィースバーデン=イトシュタイン伯 | アルブレヒト | フィリップ4世 ザールブリュッケン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン・ルートヴィヒ1世 | ルートヴィヒ2世 | ヴィルヘルム | ヨハン・カシミール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン・ルートヴィヒ2世 | ヴィルヘルム・ルートヴィヒ ザールブリュッケン伯 | ヨハン イトシュタイン伯 | エルンスト・カシミール ヴァイルブルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドロテア・カタリーナ (プファルツ=ビシュヴァイラー伯クリスティアン1世娘) | ヨハン・ルートヴィヒ オットヴァイラー伯 | マリア・ジビッレ =ホルシュタイン=ベック公アウグスト・フィリップ | グスタフ・アドルフ ザールブリュッケン伯 | ヴァルラト ウージンゲン侯 | ゲオルク・アウグスト・ザムエル イトシュタイン伯 | フリードリヒ ヴァイルブルク伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ・ルートヴィヒ オットヴァイラー伯 | ルートヴィヒ・クラフト ザールブリュッケン伯 | カール・ルートヴィヒ ザールブリュッケン伯 | ヴィルヘルム・ハインリヒ ウージンゲン侯 | ヨハン・エルンスト ヴァイルブルク侯 | マリア・ポリクセナ (ライニンゲン=ハルテンブルク伯フリードリヒ・エミッヒ娘) | フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ | オラニエ=ナッサウ家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クリスティアーネ =ザールブリュッケン伯カール・ルートヴィヒ | カール ウージンゲン侯 | ヴィルヘルム・ハインリヒ ザールブリュッケン侯 | アウグステ・フリーデリケ | カール・アウグスト ヴァイルブルク侯 | ウィレム4世 オラニエ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カール・ヴィルヘルム ウージンゲン侯 ザールブリュッケン侯 | フリードリヒ・アウグスト ウージンゲン侯 | ルートヴィヒ ザールブリュッケン侯 | カール・クリスティアン ヴァイルブルク侯 | カロリーネ | ウィレム5世 オラニエ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ・ルートヴィヒ ザールブリュッケン侯 | フリードリヒ・ヴィルヘルム ヴァイルブルク侯 | ウィレム1世 オランダ王 ルクセンブルク大公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィルヘルム ヴァイルブルク侯 | ウィレム2世 オランダ王 ルクセンブルク大公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ ルクセンブルク大公 | マリー | ヘルマン ヴィート侯 | ヘレーネ | ゲオルク・ヴィクトル ヴァルデック侯 | ウィレム3世 オランダ王 ルクセンブルク大公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルクセンブルク大公 | エリサベタ =ルーマニア王カロル1世 | ヴィルヘルム・アドルフ ヴィート侯 | エンマ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィルヘルム・フリードリヒ アルバニア公 | ウィルヘルミナ オランダ女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オラニエ=ナッサウ家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ1世 ジーゲン伯 | エミッヒ1世 ハダマル伯 | アンナ (ニュルンベルク城伯フリードリヒ3世娘) | ヨハン ディレンブルク伯 | オットー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー2世 ディレンブルク伯 | ハインリヒ1世 バイルシュタイン伯 | ヨハン | エミッヒ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン1世 | ハインリヒ2世 | ラインハルト リーベンシャイト伯 | ハインリヒ | エミッヒ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アドルフ ディーツ伯 | ヨハン2世 ジーゲン伯 | エンゲルベルト1世 ブレダ伯 | ヨハン3世 | ヨハン1世 | ハインリヒ3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン4世 ジーゲン伯 | ハインリヒ2世 | ハインリヒ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エンゲルベルト2世 ブレダ伯 ネーデルラント総督 | ヨハン5世 ジーゲン伯 | エリーザベト (ヘッセン=マールブルク伯ハインリヒ3世娘) | ヨハン2世 | ベルンハルト リーベンシャイト伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランソワーズ (サヴォイア=ローモン伯ジャコモ娘) | ハインリヒ3世 ブレダ伯 ネーデルラント総督 | クロード (オランジュ公ジャン2世娘) | ヨハン (1484-1504) | ヴィルヘルム1世 ディレンブルク伯 | ユリアーナ・ツー・シュトルベルク | ヨハン3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
メンシア・デ・メンドーサ (セネテ侯ロドリーゴ・デ・メンドーサ娘) | ルネ・ド・シャロン オラニエ公 ネーデルラント総督 | ウィレム1世 オラニエ公 | ヨハン6世 ディレンブルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オラニエ=ナッサウ家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.