ドイツ滑空機研究所
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ドイツ滑空機研究所(ドイツかっくうきけんきゅうじょ、独:Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug ; 略称 DFS)は1927年から第二次世界大戦終了まで競技用グライダー、輸送用グライダー(DFS 230)、ロケット推進迎撃戦闘機Me163の元となったDFS 194などの数多くの航空機を開発した。
前身は、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項にエンジンプレーンの製造を禁止されたドイツの飛行機好きが1925年に設立したエンジンのないセールプレーン開発のためのレーン・ロシッテン協会 (Rhön-Rossitten Gesellschaft) である。協会名の一つのレーンとはヘッセン、バイエルン、テューリンゲンの国境にあるレーン山塊を意味する。ここはスポーツグライダーの聖地でもある。DFS はこの山塊の最高峰であるヴァッサークッペ(標高950.2m)に設けられた。しかし、曳航機の着陸場が近くにないことから1933年にダルムシュタット・グリースハイムに移転した。ここでヴァルター・ゲオルギー教授 (Walter Georgii) 指導下の研究部門として、気象研究部、無尾翼航空機研究、航空機材の開発、滑空研究部などがあった。
ハンナ・ライチュは第二次世界大戦が終了まで同研究所に所属していた。他にはオイゲン・ゼンガー、ロベルト・クロンフェルト、ギュンター・グレンホフ、ペーター・リーデル、エーリヒ・クレックナーが活躍した。