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ローマ帝国の王朝 ウィキペディアから
テオドシウス朝(テオドシウスちょう、英語: Theodosian dynasty)は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まり、457年までローマ帝国を支配した王朝である。
首都 | ローマ コンスタンティノープル ラヴェンナ | ||||||||||||||||||
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テオドシウス1世は西方正帝グラティアヌスによって共同皇帝として東方正帝に選ばれたが、グラティアヌスの死後は次第に西方正帝を傀儡化し、ローマ帝国の東西領域を実質的に単独支配した。
395年のテオドシウス1世の没後、その息子2人によって帝国の分割統治が行われた。帝国の分割統治はそれ以前から行われていたものの、この分割以降にローマ帝国で東西宮廷の対立が深刻となったため、日本ではこの時をもってローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂したとみなされている。
アエリア・フラキア | テオドシウス1世 | ガッラ (ウァレンティニアヌス1世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルカディウス 東ローマ帝 | ホノリウス 西ローマ帝 | ガッラ・プラキディア | コンスタンティウス3世 西ローマ帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルキアヌス 東ローマ帝 | アエリア・プルケリア | テオドシウス2世 東ローマ帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アエリア・マルキア | アンテミウス 西ローマ帝 | ペトロニウス・マクシムス 西ローマ帝 | リキニア・エウドクシア | ウァレンティニアヌス3世 西ローマ帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リキメル | アリピア | フネリック ヴァンダル王 | エウドキア | プラキディア | オリブリオス 西ローマ帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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