ジャバ (帆走フリゲート)
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ジャバ (HMS Java) は、19世紀イギリス海軍の帆走フリゲート。38門艦(ただし実際には47門搭載)。フランスにおいてフリゲート「ルノメ(Renommée)」として建造されたが1811年にマダガスカル島付近でイギリス海軍によって捕獲され、イギリス軍艦「ジャバ」となった。米英戦争(1812年-1815年)中の1812年12月29日、ブラジル沖でアメリカ海軍の44門フリゲート、コンスティチューション (USS Constitution) と交戦して敗れた。
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1805年(フランス海軍) |
進水 | 1808年 |
就役 | 1811年5月(イギリス海軍) |
退役 | |
その後 | 1813年1月1日に炎上 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 1,083英トン(1,100トン) |
全長 | |
全幅 | |
吃水 | |
機関 | |
最大速 | |
乗員 | |
兵装 |
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「ジャバ」は新造のフリゲートであり、補給も兵員も十分で、良く操船され、良く戦った。交戦のときは、ボンベイの総督に任命されたサー・トーマス・ヒスリップ陸軍中将とそのスタッフをポーツマスから任地まで送り届ける途中で、彼らの膨大な荷物とともに海軍軍需品も運んでいた。そして、別の艦の兵員や、移動中の別の艦長も乗組んでいた。3時間の戦いで「ジャバ」は「コンスティチューション」がその数ヶ月前に破ったイギリス軍艦(フリゲート)「ゲリエール」より手ごわい敵であることを示したが、結局降伏した。「ジャバ」は修理不能と判断されて焼却処分となった。