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グロースターク(Graustark、1963年 - 1988年)はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。全弟にアメリカリーディングサイアーのヒズマジェスティ、半姉にアメリカ殿堂馬ボウルオブフラワーズがいる。名前の由来はジョージ・バールの小説より[1]。
現役時代は主に2歳戦で活躍し8戦7勝。ほとんどのレースが圧勝で、75,904ドルの賞金を稼ぎ出した。
デビュー前から手綱を抑えたまま5ハロンを58秒4、6ハロンを1分11秒8と驚異的な調教タイムを出して注目を集めており[3]、2歳時には3戦して全勝、アーリントンパーク競馬場のアーチワードステークスを不良馬場の中6馬身差で優勝している。しかしシンスプリントを発症して戦線離脱、バックパサーに次ぐ全米2歳ランキング2位にランクされた。
明けて3歳シーズンはフロリダから始動し、バハマステークスを含めて連勝を7に伸ばしていた。しかし、8戦目に迎えたブルーグラスステークスを前に左前肢の蹄鉄打ち間違えにより故障が発生、その状態でレースを強行したが、エイブズホープのハナ差2着に敗れた[3][4]。結局この故障が原因で引退、バックパサーと同世代だったがいちども対戦せずに終わった。なお、この馬やバックパサー、ダマスカス、ドクターフェイガーにレースでの騎乗経験があるブラウリオ・バエザは、自分が騎乗した中で最も強かった馬は何かという質問に「グロースタークです、何の迷いもなくそう言い切れます」とこの馬の名前を挙げた[5]。
引退後は240万ドルのシンジケートを組まれて種牡馬入りし[1]、プラウドトゥルース、キートゥーザミント、アヴァター、カラコレロらを輩出し成功、1972年にはアメリカ種牡馬ランキング6位にランクされた。母の父としてはそれ以上の成績を収め、イギリスでは1985年に、アメリカでは1988年にリーディングブルードメアサイアーに輝いている。
グロースタークは1988年に死亡するまで種牡馬活動を行っていた。埋葬地は繋養されていたダービーダンファーム[1]。
グロースタークの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リボー系 |
[§ 2] | ||
父 Ribot 1952 鹿毛 |
父の父 Tenerani鹿毛 1944 |
Bellini | Cavaliere d'Arpino | |
Bella Minna | ||||
Tofanella | Apelle | |||
Try Try Again | ||||
父の母 Romanella栗毛 1943 |
El Greco | Pharos | ||
Gay Gamp | ||||
Barbara Burrini | Papyrus | |||
Bucolic | ||||
母 Flower Bowl 鹿毛 1952 |
Alibhai 栗毛 1938 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Teresina | Tracery | |||
Blue Tit | ||||
母の母 Flower Bed黒鹿毛 1946 |
Beau Pere | Son-in-Law | ||
Cinna | ||||
Boudoir | Mahmoud | |||
Kampala | ||||
母系(F-No.) | (FN:4-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Tracery 5x4 | [§ 4] | ||
出典 |
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