カレル・ベルナルト・ブダイン
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カレル・ベルナルト・ブダイン(Karel Bernard Boedijn、1893年6月29日 - 1964年8月26日)はオランダの植物学者、菌類学者である。
アムステルダムに生まれた。労働者階級の出身で、高等教育を受けることができず、働き始め、趣味で自然観察を行っていた。園芸の仕事に付き、園芸雑誌に記事を書くようになった。アムステルダム大学植物園(Hortus Botanicus Amsterdam)に雇われ、にアムステルダム大学の植物学教授、ユーゴー・ド・フリースに聡明さを見出され、講義や実習に参加するようになり、ド・フリースの研究を手伝うようになった。1923年に大学の入学資格を得て、1925年に博士号を得た。北スマトラのメダンでの研究職を得て、インドネシアに渡り、1928年から菌類学者としてボイテンゾルグ植物園で働いた。ラム(Herman Johannes Lam)の後をついで1935年から、バタビアの医学校の生物学の教授を務めた。
第二次世界大戦中は日本軍によって数年間、捕虜収容所に収容された。戦後はボゴールに設立されたインドネシア大学農学部の教授を務めた。引退後はオランダに戻り、ハーグで没した。
娘に有名なバレリーナになったマリアンヌ・ヒラリデス(Marianne Hilarides)がいる。