カバー (マヤ遺跡)

メキシコの遺跡 ウィキペディアから

カバー (マヤ遺跡)map

カバー(Kabah)は、メキシコユカタン州にある古代マヤの遺跡で、ウシュマルなどと並んでプウク式の建造物で知られる。

概要 所在地, 座標 ...
カバー
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サクベの終点に立つアーチ
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遺跡の位置
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カバー (マヤ遺跡) (マヤ地域)
所在地 メキシコユカタン州
座標 北緯20度14分54.33秒 西経89度38分50.27秒
種類 定住地
歴史
時代 先古典期 - 古典期
文化 マヤ
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遺跡

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コズ・ポープ
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コズ・ポープのチャクの仮面
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コズ・ポープの裏側

カバーとは「強い手」を意味する[1]

形成期中期(紀元前600-300年)から定住が始まったが、政治・経済の上で重要な都市になったのは古典期終末期(800-1000年)である[1]

プウク地域の他の都市と同様、11世紀はじめに放棄された[1]

遺跡の中心部は東西に3つの建造物グループに分けられ、中央に祭祀センター、東と西に支配者層の住む宮殿があった。しかし東のグループ以外はほとんど調査・復元されていない。中央グループの神殿ピラミッドは20メートルを越えるカバー最大の建造物だが、未発掘である[2]

東のグループはよく復元されており、プウク式の建造物を見ることができる。とくに250個ものチャク神の仮面で覆われたファサードを持つ宮殿コズ・ポープはカバーでもっとも有名な建造物である[2]。西のグループには赤い手の壁画が発見された建造物がある。コズ・ポープの裏手と赤い手の建物の側柱には9世紀の日付を持つ碑文をともなった彫刻が残る[2]

カバーから北西のウシュマルまで、約20キロメートルに渡る長い堤道(サクベ)が走り、終点にはアーチが建てられた。

調査

カバーは1843年にジョン・ロイド・スティーヴンズフレデリック・キャザーウッドによってはじめて報告された。その後、デジレ・シャルネテオベルト・マーラーが訪れている。

1990年代にラモン・カラスコ率いるメキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)が発掘を行った[2]

21世紀にはいってからはINAHのロールデス・トスカノ・エルナンデスらによる調査が行われており、この調査によって王室の台所の跡が発見された[3]。調査によりここでニシュタマリゼーションが行われていたこと、かまどが存在したことが判明した。またメタテなどの石器や多数の土器も発見された[4]

脚注

参考文献

外部リンク

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