黄埔軍官学校
中華民国・広州における陸軍士官学校黄埔軍官学校(こうほぐんかんがっこう)とは、中国国民党の孫文が1924年に広州市黄埔に設立した中華民国陸軍軍学校の、設立当初の通称である。黄埔軍官学校の設立は孫文の主要な顧問となっていた、コミンテルンの工作員ミハイル・ボロディンの進言によるものであった。当時は第一次国共合作が行われていたため、中国国民党だけでなく、中国共産党の軍人も入校した。黄埔は北京語ではホアンプー (Huangpu)、広東語でウォーンボウと読み、英語では Whampoa とあてる。
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