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南北朝時代から室町時代前期の武将・守護大名。阿波国守護。細川阿波守護家(讃州家)2代。 ウィキペディアから
細川 義之(ほそかわ よしゆき)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将・守護大名。阿波国守護。細川阿波守護家2代当主。讃州家とも称された阿波細川氏の2代目であるが、記録上確認できる同家最初の阿波守護は義之である。
細川詮春の長男として誕生。父・詮春の早世(正平22年/貞治6年(1367年)?)後、伯父である細川頼之の庇護下にあったが、康暦の政変で伯父と共に京都を追われて阿波に下り、続いて新しく阿波守護に任じられた細川正氏(清氏の子)の侵攻を受けるが、義之は正氏や阿波国内の南朝方を破って守護職を獲得し、室町幕府もこれを認めた。永徳元年/弘和元年(1381年)には所領安堵の文書を発給している[1]。
応永3年(1396年)までには守護在職のまま出家して法号の常長を名乗り、養子・満久(細川満之の次男または三男)に家督を譲っているが、実権はそのまま握り続けた。応永29年(1422年)に病に倒れ、1月25日には4代将軍・足利義持の嫡男義量(後の5代将軍)が特に見舞いへ派遣されている(『花営三代記』)。だが、2月1日に60歳で病死した[2]。
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