瀬名政勝
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。今川氏一門瀬名信輝の子で、旗本瀬名氏初代当主(瀬名氏5代当主。武蔵入間郡内300石)。大番を勤めた ウィキペディアから
生涯
『寛政重修諸家譜』によると、父は瀬名氏明、母は葛山氏元の娘。
天正9年(1581年)、16歳で徳川家康に初謁。天正12年(1584年)2月より家康の側近くに仕え、この年の小牧の戦いにも従軍した。その後、大和国に知行300石を得た。
天正18年(1590年)3月11日、知行地のうち190石が旧知駿河国庵原郡瀬名村(現:静岡市葵区瀬名)に移され、家康が関東に移されると武蔵国入間郡に知行地が転じた。同年5月17日には御朱印を下付されている。
系譜
『寛政重修諸家譜』は以下の2男を載せる。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第九十五
註
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