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江戸時代前期の福井藩家老 ウィキペディアから
本多 昌長(ほんだ まさなが)は、江戸時代前期の越前国福井藩家老。通称は源四郎、内蔵助。越前府中本多家(本多内蔵助家)2代当主。
慶長19年(1614年)9月18日、福井藩家老・本多富正の子として府中にて誕生した。幼名を千菊。母は側室。元和元年(1615年)、幕府の証人として江戸に下向する。
元和2年(1616年)、結城秀康側室・清涼院に伴われ、江戸城に登城し2代将軍・徳川秀忠と世子家光に拝謁する。寛永10年(1633年)、元服し、藩主・松平忠昌より偏諱を受け内蔵助昌長と名乗る。寛永12年(1635年)、松平直基養女と結婚。正保2年(1645年)11月、藩主・松平光通の家督相続の御礼言上の際に、永見吉次らと共に将軍家光に拝謁する。慶安2年(1649年)、父・富正の死去により、家督相続し府中4万石の領主となる。慶安3年(1650年)、河灌山芳春寺を再建する。
3歳で江戸城に登城し将軍秀忠に拝謁した際に、御台所於江の方に「父親の富正は容貌が良くないと聞いていますが、この子は母親に似たのですね」と声をかけられた。また、世子家光は千菊を奥に連れて行き印籠袋を賜った。
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