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日本の政治家 ウィキペディアから
佐喜眞 淳(さきま あつし、1964年(昭和39年)8月9日[2] - )は、日本の政治家。沖縄県宜野湾市長(第16、17代、20代)、元沖縄県議会議員(2期)、元宜野湾市議会議員(2期)。
沖縄(米国統治時代)の宜野湾市生まれ。父親は宜野湾市議会議員を務めた佐喜眞博。沖縄県立普天間高等学校、千葉商科大学商経学部経営学科卒業[3]。大学卒業後、フランスに留学し、8年間滞在した。フランスでは空手の指導などをした[4]。日本に帰国後、自由民主党に入党。1997年より旅行会社に勤務。
2001年、父親の佐喜眞博が宜野湾市議会の議長在職時にくも膜下出血で倒れ、死去。同年に行われた補欠選挙に父親の後継として立候補し、初当選した[5]。2005年に再選。2006年、沖縄県議会議員選挙に宜野湾市選挙区から立候補し、初当選。2010年に再選。
2011年12月28日、宜野湾市長の安里猛が健康上の理由により辞職。安里の辞職に伴い2012年2月12日に行われた宜野湾市長選挙に自民・公明・新党改革3党の推薦を受け、立候補。安里の前任者で、社民・共産・沖縄社会大衆3党が推薦する伊波洋一を900票の僅差で破り、初当選した[6][7]。
2015年9月、翌年の宜野湾市長選挙に再選を目指し立候補する意向を表明[8][9]。前回に引き続き自民・公明両党の推薦を受けたほか、舛添要一東京都知事の支援も受け[10]、相手候補を約6千票の大差で破り、再選された[11][12][13]。
2018年6月5日に任期満了に伴う、11月の沖縄県知事選挙に佐喜真を擁立することを自民党沖縄県連が決定[14]。翁長知事の死去に伴い選挙が9月に前倒しされたことを受け、8月14日に辞表を提出した上で知事選への立候補を正式表明した[15]。同年9月30日執行の知事選において元衆議院議員の玉城デニーに敗れ、落選[16]。
2022年5月28日、自民党沖縄県連は任期満了に伴う、9月11日投開票の沖縄県知事選挙に佐喜真を擁立することを決めた[17]。
現職の玉城デニーと佐喜眞の一騎打ちとみられていたが、同年7月13日、元衆議院議員の下地幹郎が立候補する意向を表明[18]。下地の支持基盤は保守層であり、保守分裂の構図が生まれた[19]。7月27日、佐喜眞は、台湾で開かれた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の合同結婚式に参加[20]したことに関し、「旧統一教会だという認識はなかった」「誤解を招くような経緯があったことについては深く反省している」との声明を発表した[21]。
佐喜眞の陣営は、7月10日実施の参院選の沖縄県選挙区で「オール沖縄」勢力の現職の伊波洋一に2888票の票差まで肉薄した元総務官僚の古謝玄太に目を付けた[19]。同年8月5日、佐喜眞は正式に出馬表明[22]。翌8月6日、自民党県連は地元2紙に「チームサキマ始動」と題したカラーの全面広告を掲載。おそろいの水色のポロシャツを着た佐喜眞と古謝をそれぞれチームの「隊長」「副隊長」とし、当選後は古謝が副知事として佐喜眞を支えるというイメージ戦略を打ち立てた[19][23]。8月18日、古謝が参院選の際、統一教会の2つの関連団体「世界平和連合沖縄県連合会」と「沖縄県平和大使協議会」から推薦を受けていたことがメディアで報じられた[24]。
同年8月22日、沖縄セルラースタジアム那覇で総決起大会を開催。スタジアムの内野席に支持者ら1万人(主催者発表)が結集した[25]。東京からは自民党の茂木敏充幹事長や公明党の高木陽介選対委員長らが駆け付けた。日本商工連盟那覇地区の石嶺伝一郎代表世話人は「県経済は危機的状況にあると言っても過言ではない。佐喜眞淳さんのような強いリーダーシップがあり、国とも太いパイプを持つ知事が必要だ」と訴えた。観光関連事業者が主体となる「これまでの沖縄県の自粛要請に伴う観光事業者への協力金支給を実現させる会」の金城仁会長は「現知事は『誰も取り残さない』と言っているが、観光業界は取り残されている。我々は県政に絶望を感じている」と訴えた[26]。
同年8月25日、知事選が公示。佐喜眞は出陣式で「旧統一教会関連との一切の関係を、今後行わない、断つということをお約束する」と明言した[27]。しかし取材に対しては冷淡で、沖縄入りしたTBS『報道特集』の金平茂紀キャスターが佐喜眞に統一教会との関係について取材を申し込むと、無言のまま車に乗り込んだ。金平は陣営のスタッフに問い合わせるが、スタッフは「取材を受ける理由はない」と断った。この模様は8月20日に放映された[28]。また、別のジャーナリストが、佐喜眞が懇意にしている統一教会信者のラジオパーソナリティーの夫婦について佐喜眞に問い合わせたときも、佐喜眞は無言を貫いた[29][30]。
同年8月26日、那覇市で行われた街頭演説会で、東村在住の女性が佐喜真らに向けて多数の薬莢を投げつける事件が発生した(後述)。9月3日、佐喜眞は知事選をめぐり、自身のインスタグラムの「ストーリーズ」の中で、他のアカウントが「死にたいならデニー」「生きたいならサキマ」などと記した画像に対し「県外からの応援嬉しいですね~ありがとうございます」と書き込み、再投稿した。その際に「#死にたいならデニー#生きたいならサキマ」というハッシュタグを付けた。佐喜眞の陣営は同日夜、外部からの指摘を受けて投稿は「不適切だった」として削除した。翌4日には謝罪文を掲載した[31]。
同年9月11日、投票が終わった20時ちょうど、NHK、琉球放送、琉球朝日放送、沖縄テレビ放送など県内各テレビ局および県内2紙は、現職の玉城の「当選確実」を報じ、いわゆる「ゼロ打ち」となった[32]。佐喜眞は候補者3人中、次点で落選[33]。
2024年7月26日に宜野湾市長であった松川正則が東京での公務中に死去したことに伴い、後継を決定する同市長選挙が9月8日に行われることとなり、松川の後継候補として2024年8月7日に立候補を表明した[34]。普天間基地移設問題の是非については既に法廷闘争がほぼ決着し工事が進められていたこともあって選挙戦での大きな争点にはならず、佐喜眞は政府と連携して跡地開発を進めると訴えた。9月8日執行の市長選挙で前沖縄県議の桃原功らを破って当選(通算3選目)を果たした[35]。
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